『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。
※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら
1993年、北海道新聞網走支局の若手記者・石原宏治が、
夕刊連載「私のなかの歴史 中川イセ」の担当となる。
その道の著名人などを取材し、十数回にわたって連載して
いるシリーズである。
このとき、イセ、92歳。石原は25歳。まだ大学を出て数
年、仕事がようやく板についてきたばかりのころである。
石原は、ほぼ毎日、夕刻になると、イセの家に立ち寄る。
イセがたずねる。
「めし、食ってきたか?」
「まだです」
「んじゃ、食ってけ」
決まり文句だった。食事をさせてもらい、イセの話を聴く。
そんな日々が半年におよんだ。
イセは、孫のような年の石原を、「友人」と呼んだ。
「これまで、いろいろとわたすのことを書いてくれるひとは
いたけど、事実とちがってることを書かれたりしてね。友人
のあんたには、本当のことだけ書いてほしいんだ」
石原は、真剣にうなずき、その約束を守った。
16回にわたる連載は、おおきな反響を呼び、また、イセの
後年の活動を伝える貴重な資料ともなっている。
ところで、イセの家には、しばしばひとがおとずれていた。
ときに、たずねると、それなりの要職にあるものたちが、真
剣な顔で相談をしていることがあった。
石原が入っていくと、ぴたりと話をやめる。
あっと想って、石原が引き返そうとすると、イセが止めて言
った。
「いいんだ。このひと(石原)は信頼できるひとだから。話
が終わるまで、そこで待ってなさい」
そう言って、話をつづけたという。
実は、そんなふうに、「このひとは信頼できるから」と言わ
れて、内密の話の場に立ち会った体験をもつひとが、ほ
かにもいる。
もしかして、それは、イセ流の「ひとの育てかた」ではなか
ったか。
自分が信頼されていると感じると、ひとは誰でもうれしく感
じるものだし、その信頼をうらぎらない生きかたをしようと、
思うものだろうから。
いずれにしても、イセは、若いものたちを育てたいという気
持ちを、いつでももっていた。
正月三が日のあいだ、イセはいつも、たずねてくるひとにた
いして、「お年玉」をわたしていた。
あらかじめ、お年玉を入れた御祝儀袋を大量につくり、たず
ねてきたひとにわたすのだ。
党派のちがうものであっても、それは分けへだてなかった。
だからこそ、ひとは、「(中川の)ばっちゃん」と、イセをした
ったのである。
1999年、イセは、白寿をむかえ、網走では、「中川イセ白
寿記念講演会」がひらかれた。
ゲストには、作家で作詞家の永六輔がまねかれた。
永は、歌手の淡谷のり子を引き合いにだし、「二人には、
頑固さと強さという共通点がある」と、イセをほめたたえ
たという。
イセもまた、「地道にがんばれば、誰でもことをなすことが
てきる」と、持論を語った。
そして、「網走は、懸命にはたらいたひとを、あたたかくむ
かえてくれるところ」と、この第2の故郷への感謝のことば
を忘れなかった。
---------------------------------------------------------------
★
イセさんの誕生〜北海道に渡るまで。波瀾万丈の人生の幕開けです!
1200円+送料200円=1400円 ※2冊以上でも、送料は据え置き200円
★詳細は、こちら!
----------------------------------------------------------------
夢実子の語り劇を上演してみませんか?
※網走以外の、オホーツク地方の写真も掲載していきます。
「牧草ロール」
写真提供/北海道無料写真素材集 DO PHOTOさん