2016年12月01日

物語版「零(zero)に立つ」第18章 塀の向こう(2)/通巻135話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


電話を切ったあと、イセは、もうひとつの記憶を思い出した。

あれは、もう、20歳になったころだったろうか。

金松楼の近くにある網走川にかかる、網走橋で、監獄を脱走
した囚人が、追ってきた看守に斬殺されるのを、イセは目撃
したのである。

いや、目撃したというのは正解ではないかもしれない。

それは、夏の夜のことだった。

網走監獄から囚人が脱走したので、出入りに気をつけるよう
に。もし立ち寄ったらすぐ知らせるようにとの連絡があった。

脱走囚が、海のほうに逃げてくるケースは、めったにない。

海沿いを逃げるのは見つかる危険が高いから、たいていは、
山にかくれようとして、内陸に逃げるのだ。

だから、海の近くの金松楼のほうにやってくることは考えに
くかった。

それよりも、イセたちにとっては、囚人がつかまらないで逃
げおおせてほしい…という想いのほうが強かった。

あの「豆草鞋」の一件にもあるように、同じ社会の底辺を生
きるもの同士の共感のようなものを、娼妓たちは囚人たちに
たいして、いだいていたのだ。

まんじりともしない夜が、まもなく明けようというときだ。
にわかに、外がさわがしくなった。

「橋の上で、何人か、もみあってるよー!」

誰かがさけぶ声がした。

あわてて、2階の窓からのぞいて見ると、網走橋のうえで、
もみあう複数の黒い影が、たしかに見えた。

荒い息づかいにまじって、「おさえろ」「逃がすな」という
声も聴こえる。

つづいて、金属と金属がふれあう音が聴こえた…と想った
瞬間、「ぎゃっ」という叫び声とともに、そのうちのひとり
が、その場にくずれ落ちたのだ。

あとでわかったことだが、囚人を追い詰めた看守が、もっ
ていた日本刀で、その囚人を斬り殺してしまったのだ。

イセたちは、金松楼の2階から、ふるえながら、その惨劇
を見つめているしかなかった。

「脱走囚、死亡」のニュースは、新聞にもとりあげられ、
網走の街のなかでも、さまざまなうわさが流れた。

この囚人は、5年前に網走に流れてきて、つかまるまでの
5年間を、町で暮らしていたのである。

仕事ぶりはまじめで、なじみのものも少なからずいた。

それが、凶器をもって抵抗したとはいえ、いきなり斬り殺
されるというのは、町のひとたちにとっては、受け入れが
たいことであったのだ。

もちろん、監獄がわにも言い分はある。

囚人が脱走すれば、町のひとが危害にあう可能性もある。

そうでなくても、脱走した囚人は、興奮状態にある。

ふだんはおとなしい男でも、そんなときには、想いもかけ
ず、攻撃的な態度を見せることは、想像にかたくない。

また、収監している他の囚人たちに、「逃げられるかもし
れない」という気持ちを、あたえるかもしれない。

なんとしても、一刻も早くつかまえる必要があったのだ。

とにかく、この事件は、当時の網走の街のなかでは、しば
らくうわさを呼んだ話であったのだ。

(30年も昔の話とはいえ、こんな大切なことを忘れて
いたなんて…)

電話を切ったあと、イセはしばらく考え込んだ。

議員になってから、女たち、子どもたちのための活動に
奔走してきたけれど、ここにも、社会からないがしろに
されているひとたちがいる。

どんな想いで、塀のなかの日々を送っているだろう。

二度と出られないかもしれない絶望とたたかいながら、
さぞつらい気持ちをかかえているのではないだろうか。

自分の過去を話してやることで、少しでも、生きる勇気
をもってもらえるなら…。

イセの気持ちは、高まった。

ここから、さらに30年後に、「網走監獄」博物館の理
事長になろうとは、まだ想像もしないイセであった。


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ryuuhyousanmyaku.jpg
「流氷岬 流氷山脈」 
写真提供/北海道無料写真素材集 DO PHOTOさん
posted by 夢実子「語り劇」プロジェクト at 04:20| Comment(0) | 物語版「零(zero)に立つ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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