『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。
※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら
1957年には、ようやく売春防止法が成立した。
イセは、ますます、積極的に、そうした店と交渉し、商売替
えさせるなどのはたらきかけをした。
それでも、あこぎなやりかたをあらためない店は、法務局に
かけあって、廃業させることもした。
「あのやろう、店をつぶしやがった。痛い目にあわせてやら
ねえと、気が済まねえ」
そんなことをいきまくものもいたようである。
事実、何度か、道を歩いていて、つけられていると感じるこ
とがあった。
しかし、イセが有段者であることが知れ渡っていたせいだろ
うか、さいわいにも、襲われるようなことは、なかったので
ある。
そのころになると、網走市内にかまえたイセの家は、ひとび
との相談所のような状態になっていた。
「明日食べるものがないんです…」
「夫の暴力に苦しんでます。ころされるかもしれない」
そんなうったえが、ひっきりなしに入ってくる。
そのたびに、イセは、ていねいに話を聴いた。出てこられ
ないもののために、出向いて話を聴くこともあった。
さらには、必要とあれば、逃げ出すための汽車賃や、当座
の生活費までわたしてやる。
女たちは、びっくりしてイセを見る。
「ありがとうございます。…でも、私、このお金、お返しでき
ません」
「これは、貸すんでない。あんたにあげるんだ。そのかわり、
苦しいことがあっても逃げずに、がんばるんだよ」
「ありがとうございます!…ありがとうございます!」
イセに助けられた女たちは、拝むようにして、そのお金を受
け取った。
それを見ていた支援者のひとりが、あきれて言った。
「イセばっちゃん、またですか。そんなに気前よくお金をわ
たしていて、生活、大丈夫なんですか」
「だって、困ってるんだから、しかたないじゃないか」
「せめて、あげるのではなく、貸すことにしては」
「いのちからがら逃げて、精一杯のところに、今度は、借金
を背負わせるのかい。そんなことはできないよ」
「でも…」
「大丈夫。わたすは、これまでいろんな苦労を乗り越えてき
たんだ。なんとかやっていけるもんだよ」
そう言って、からっぽになった財布を振って、笑ってみせた。
イセが、最初に人権擁護委員になったのは、1950年。
その後も、さまざまな要職につくことになる。
1953年には、網走市の母子相談員、社会教育委員、防犯
協会理事を兼任。
1958年には、網走市人権擁護協議会会長となる。
それにともない、1953年には、法務省から感謝状を受け、
1961年には、全国人権擁護委員連合会会長表彰、1963
年には法務大臣表彰を受けている。
イセは、そうした肩書きや表彰を、ことさら自慢するようなこ
とはなかった。むしろ、低姿勢で、「わたすのようなものが」
と受け取った。
それでも、さんざん苦労を重ね、たどりついたこの網走で、
こうして、自分が受け入れられ、みとめられることは、よろこ
び以外のなにものでもなかった。
そんな日々のなか、イセのもとに一本の電話がかかってきた。
「網走刑務所ですが、囚人たちに、ぜひ、中川さんのお話を
聴かせていただきたいと想いまして」
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「能取岬 流氷」
写真提供/北海道無料写真素材集 DO PHOTOさん