『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。
※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら
、
愛子の妊娠がわかり、よろこびに湧いていた中川家に、一通
の通知が届いた。
海軍への召集令状。いわゆる「赤紙」である。宛て名は、清
であった。
よろこびは、一気に、かなしみへと変わった。
けれども、見送るものは、涙を流すことはゆるされない。
「この子と一緒に、ご無事を祈っています」
愛子は、芽生えたばかりのいのちをかかえるように、おなか
に、そっと手をそえて言った。
「日本は神風の国だもの。負けやしないさ」
清は、愛子とイセたちに、ちからづよく敬礼をして、旅立っ
ていった。
1943年に入ると、戦況は刻一刻ときびしさをましていた。
卓治もイセも、軍馬をあつかう関係上、軍の人間とかかわる
機会が、しばしばあった。
開戦当時は、威勢のいいことばを発していた軍人たちが、そ
うしたことばを口にしなくなっていく。
戦況のきびしさは、ことばに出さずとも伝わってくるものが
あった。
また、当時、すでに衆議院議員になっていた、東条貞(卓治
の妹・タマの夫)が帰郷する折、話をもれ聴く機会もあった。
東条は、翼賛政治会・大日本政治会に所属していたので、上
層部の情報に通じていた。
もちろん、軍事機密を簡単に話してくれるはずもなかったが、
イセは、ことばの端々や、地元の支援者たちとのやりとりか
ら、その様子を察知した。
清の戦死が伝えられたのは、愛子が臨月に入ろうとするとき
であった。
B4判の薄い和紙に「死亡告知書(公報)」と書かれたそれ
には、「中川清」の名前、所属、死亡した地名などが書かれ
てあった。
そして、「英霊に就ての御知らせ」という、はがき大のちい
さな紙がそえられ、「死亡賜金」のことなどが書かれていた。
「清…、なんで死んだ…、生まれてくる子の顔も見ないで…」
戦死公報をにぎりしめ、イセは、必死に涙をこらえた。
当時は、戦争で亡くなったものは「英霊」としてたたえられ、
けっして、泣いたり悲しんだりしてはいけなかったのである。
イセも、人前では涙をこらえた。
けれども、養子とはいえ、かわいがって育てた子どもが死ん
で、かなしくない親がいるだろうか。
何よりも、残された愛子が不憫であった。
「子どものためにも、生きるんだ。絶対に、変な気を起こす
んじゃないよ」
ひとには聴かれぬよう、イセは、愛子をはげました。
立場はちがえど、大切なひとを想って悼む気持ちは、ふたり
一緒だった。
もしかしたら、このときようやく、イセと愛子の、埋めがたか
った溝が埋まったといえるのかもしれない。
ちなみに、この年の5月、アッツ島の戦いで、日本軍2638
名が、いのちを落とした。
生き残ったものわずか28名という、凄惨な戦いであった。
そのほとんどが、北海道から出征していったものたちだった。
それまでは、対岸の火事のような想いでいた北海道民も、い
よいよ、戦争が身にせまるものを感じたのである。
こうして、日本は、しりぞくことを選ばぬまま、各地で、たく
さんの尊いいのちを散らしていった。
第2次世界大戦での日本の戦没者数は、310万人といわれ
ている。
また、戦争末期ともなると、軍馬の数も、思うようにそろわ
なくなってきた。
ついに、イセがかわいがって、いつも乗っていた「初梅」が、
買い上げられることになる。
「初梅を戦地に? いやだ…」
しかし、そんなことを口にすれば、イセだけでなく、家族や
馬喰組合の仲間すべてが、処罰の対象になりかねない。
「初梅…」
イセは、涙をこらえて、最後の手入れを、それはていねいに
おこなった。
引かれていくとき、初梅が、ひと声おおきく、いなないた。
その目からは、涙が伝っていた。
(初梅…、おまえ…)
馬はかしこい生きものである。初梅は察知していたのである。
これがイセとの最期の別れであると…。
初梅の、その涙を、イセは、一生忘れることはできなかった。
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札幌★夢実子 語り劇「掌編・中川イセの物語」ほか
日時/2016年11月26日(土)10時〜16時45分
会場/ちえりあ演劇スタジオ1(地下鉄東西線宮の沢駅約5分)
詳細/こちら
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網走の写真をお借りしています。ありがとうございます。
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