語り劇『零(zero)に立つ
〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
本日、公演64日前!
日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット購入先
オフィス夢実子(事務局・菅野)080-6020-8837
メール・zeronitatsu@yumiko333.com
シベールアリーナ 023-689-1166
八文字屋POOL(山形市) 023-622-2150
TENDO八文字屋(天童市)023-658-8811、
「零(zero)に立つ」実行サポーターズメンバー、他
脚本担当・かめおかゆみこです。
山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、かめおかの視点で、イセさんの
物語をつむいでいます。物語ですので、すべてが事実ではなく、想像やフィクション
がまじる部分もあります。けれども、イセさんの生きかたの根本ははずさないで書い
ていくつもりです。ご感想をいただければ励みになります。よろしくお願いします。
第1章 1 2 3 4 第2章 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
第3章 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
※これまでのあらすじは、こちら
「ツヤ、満州の日本人学校への転勤が決まった」
船山先生は、少し興奮したおももちで、妻のツヤ先生にそう告げた。
このとき、時代はまだ、大正に入ったばかり。
満州移民というと、1932年からの満蒙開拓団をイメージされる
かたもいるかもしれないが、移民そのものは実際には、明治時代か
らすでにはじまっていた。
ただ、この時期の「開拓」は、相当な困難をきわめたようだ。
夢と希望をいだいて大陸にわたったひとびとのなかには、不毛の荒
れ地を一から開墾したり、田んぼをつくっても水不足で泣かされた
り…。離村するものもあとを断たなかったという。
辞令を受けた船山先生が、どれだけの事実を把握していたかは知ら
ない。しかし、辞令とあらば、受ける以外に道はない。
そして、船山先生は、イセを連れていくという選択をしなかった。
これだけは、たしかな事実なのである。その正確な理由はいまとは
なってはわからない。
船山先生夫妻は、のちに無事に満州から日本にもどってきて、イセ
との再会も果たしているようだが、この当時の話について語られた
かどうかは、記録には残っていない。
単純に考えれば、わざわざ日本から女中を連れていかなくても、現
地で、安い給料でやとえる女中はいくらでもいる。
あるいは、イセにとっては、満州に行けば、いまよりさらに勉強の
チャンスはなくなってしまう、と考えたのかもしれない。
実際、このとき、船山先生は、わざわざイセの父、安蔵に、「イセ
は、みどころがある。きっと将来、おおきな仕事をするようになる
だろう。いまのうちにきちんと勉強をさせてやってほしい」と、頼
んでいるのである。
もっとも、そんな話を素直に聴きいれる安蔵ではない。
「なんだと。余計なお世話だ。大体、まだ12にしかならねえ娘を
女中として使うとは、なにごとだ。とっととこっちにもどせ」
自分から出て行けと言ったことなど、まるで忘れたかのように、い
けしゃあしゃあと、こんなことを言うのである。
別れの日は刻々とちかづいてきた。
「イセちゃん、一緒に連れていけなくてごめんなさいね。またきっ
と会いましょうね。それまで元気でがんばってね」
ツヤは、そう言って、イセを強く強く抱きしめた。そうして、船山
家での幸福な時間は、終わりを告げたのである。
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「晩秋の収穫作業」
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