語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」
日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演88日前!
脚本担当・かめおかゆみこです。
山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、かめおかの視点で、イセさんの
物語をつむいでいます。物語ですので、すべてが事実ではなく、想像やフィクション
がまじる部分もあります。けれども、イセさんの生きかたの根本ははずさないで書い
ていくつもりです。ご感想をいただければ励みになります。よろしくお願いします。
第1章 1 2 3 4 第2章 5 6
佐藤家と道一本はさんだところに、荒谷一番の大地主、渡辺家
の屋敷が建っていた。イセは、その家の一人娘、みよしと友だ
ちになったのである。
小学校にあがるころになると、イセは、からかいにくる男の子
を投げ飛ばすだけでなく、何人かでかかってくると、帯の先に
石ころをつめて応戦するなど、ますます、負けず嫌いの性格を
発揮していた。
そんな状態だから、女の子たちさえ寄りつかない。いや、おと
なたちが、「あんな乱暴な子のそばに寄ったら、けがするから、
遊んじゃだめだ」と、「禁止令」さえ出していたらしいのだ。
そんななかで、みよしだけが、イセの友だちになってくれたの
だ。みよしは、イセよりも一歳年下だが、お嬢さん育ちでおっ
とりと落ち着いていて、年の差を感じさせなかった。
イセもすぐに、みよしにこころをひらいた。
「イセちゃん、今日、うちに遊びにおいでよ」
「えっ? いいの?」
「うん。母さんも、イセちゃんに会いたいって」
荒谷にきてから、およそ、誰かの家にまねかれたことなんて、
一度もない。イセは、一瞬、ぼろぼろで、つぎはぎだらけの
自分の着物を見た。
(きっと、みよしの母ちゃんなら、気にしない…)
うなずくと、みよしのあとをついて、渡辺家の門をくぐった。
「あらあら、よくきてくれたねえ」
おっとりしたお嬢さんのみよしの、母もやっぱり、おっとり
美人だった。
見とれながらも、イセは、いつも泥だらけで畑仕事をしてい
る、里親のコウを思った。同じ人間なのに、こんなにも差が
あるものだろうか…。
そんなイセの胸中を知ってか知らずか、みよしの母は、にこ
にこと愛想のいい笑みを浮かべ、イセに、あんころもちをす
すめた。
「おやつ。みよしと一緒に食べてちょうだい」
イセののどの奥が、ごくりと鳴った。佐藤家では、めったに
目にすることのないあんころもちが、目の前にある。ところ
が、みよしがにべもなく言った。
「私、あんまり好きじゃない。イセちゃん、私のぶんも、食
べていいよ」
「ほ、ほんとか?」
一瞬、イセの目が光ったかもしれない。遠慮のそぶりも見せ
ず、イセは、目の前の盆に盛られたもちを、手でつかむと、
口のなかに放り込んだ。
「う…」
甘いあんこが、舌先でとろけ、のどを通っていく。イセは、
目を白黒させながら、ごくりとそれを飲み込んだ。からだじ
ゅうが、あんこの甘さに包まれる気がした。
本当は、遠慮して、みよしのぶんを少しは残そうと思って
いたのに、手のほうが止まらなくなった。たちまち、イセ
は、盆に盛られたもちを、ぺろりとたいらげてしまった。
びっくりしたのは、みよしである。
「イセちゃん、すごーい。もう、全部、おなかのなかに
入っちゃったの?」
目を丸くして、まじまじとイセを見ている。急に照れくさ
くなったイセが、もじもじしていると、みよしが言った。
「なんか、イセちゃんを見てたら、私も食べたくなって
きちゃった。母さん、あんころもち、もうないの?」
びっくりしたのは、今度はみよしの母である。何しろ、
みよしはからだが弱く、食も細くて細くて、いつも食べ
させるのに一苦労していたからである。
「ありますよ。ちょっと待っててね」
気が変わらないようにと、あわてて、台所へと走るみ
よしの母。すぐに、山のようなもちを、盆に乗せても
どってきた。
「さあ、食べて食べて。イセちゃんもどうぞ」
みよしの母は、気づいていた。イセがなぜそんなにも
おなかをすかせているのか。けれども、それは口には
出さず、ただ黙って、二人を見つめているのだった。
※北国の澄んだ青い空。当時、このころのイセさんは、
こんな空のもとで暮らすことなど、思いも寄らなかったろう…。