『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。
※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら
イセは、年齢を、いつも「数え」で数えていたから、2000
年は、イセにとって、100歳ということになる。
この年、博物館「網走監獄」保存財団では、長年使っていた
財団の車を、買い替えることにしていた。
ふだん、イセが乗っている車であることから、職員がイセに
たずねた。
「何か、希望の番号はありますか?」
「番号って、好きにつけられるものなのかい?」
「はい。お好きな番号を」
「それじゃ、100番がいいね」
子どものころから、なんでも1番が好きだった。その気持ち
は、いくつになっても変わらない。
1番ではなく、100番にしたのは、100歳になった記念とい
うことがあるのだろう。
しかし、車が納車されて、ほどなくして、イセは言った。
「わたすは、今年で、理事長をおりるからね」
職員たちはあわてた。寝耳に水の話だったからだ。
たしかに、寄る年波で、さすがのイセも、車椅子や杖をてば
なせなくなってきてはいた。
とはいえ、思考力や明晰さに変わりはなく、博物館に大切な
お客さまがくれば、みずから案内に出たし、講演の依頼を受
ければ引き受けて、出かけてもいた。
何か事件があったというわけでもない。当然、職員たちは引
き止めたが、いったん決めたイセの意思はゆるがない。
結局、理事長はおりて、「名誉会長」に就任することになった。
イセを乗せることのなくなった財団の車は、それ以降も、
「100番」のまま使われつづけている。
2001年、イセは、100歳になった。
敬老の日には、大場脩網走市長(当時)から花束が贈られ、
小泉純一郎首相(当時)からは、記念品と褒章を贈られている。
イセは、みずから設立にかかわり、理事長にもなった「いせ
の里」で暮らすようになっていた。
その理事長職も、このころ、退任している。
しかし、長年呼ばれ慣れた呼称であるせいだろうか。
「中川さん」と呼ばれても振り返ることをせず、「理事長」と
呼ぶと、振り向いたという、エピソードが残っている。
ちなみに、この「いせの里」には、娘の愛子も一緒に入って
いた。
愛子は、1985年に、再婚した夫が死去したのにともない、
イセのもとに通って、講演などにもつきそうようになっていた。
17歳で愛子を産んだイセだが、2001年には、その愛子
も83歳。
14年間、離ればなれに暮らした親子が、こころをかよわす
ためには、それなりの年月を必要とせざるを得なかった。
しかし、それもここにきて、ようやく実を結びはじめている
のかもしれない。
2002年、卓治の息子、宗治が亡くなった。脳卒中だった。
享年85歳。
宗治は、能取岬の牧場をつぎ、結婚して、2人の娘をもうけた。
娘のひとり、和子は、専門学校時代を東京で過ごしたが、上
京したイセに、永田町の議員会館に連れていってもらったこ
とがある。
歴代の首相とも親交のあったイセのこと、後輩にあたる政治
家たちのなかには、イセをしたい、頼るものも少なくなかった。
「網走のばっちゃんが来た」
「ばっちゃん、お元気ですか?」
イセが行くと、まわりから、絶えずそんな声がかかる。
あるときのこと。和子が、イセについていくと、そこは、ある
大臣の部屋だった。
大臣は、たまたま席をはずしていた。
案内した議員が、呼んでくると言って、席を立った。
しばしのあいだ、部屋には、イセと和子の二人きりになった。
イセが、にやっと笑って言った。
「せっかくだから、椅子にすわってごらんよ」
りっぱな背もたれとひじかけのついた、大臣の椅子である。
「え? いいの?」
「いいんだ、かまやしないよ」
イセは、愉快そうに笑った。
また、博物館「網走監獄」理事長時代の話であるが、やはり、
職員を連れて、議員会館に来たときのこと。
「ここにくると、いつも食べるものがあるんだ。あれはほか
では食べられないね。ごちそうしてやる」
イセのことばに、職員はわくわくした。東京で、ほかでは食
べられないものといったら、築地の寿司とか?!
そんな期待でいっぱいの、職員の前に運ばれてきたのは、
ただの、さばの味噌煮定食であった。
「ここのさば味噌煮定食は、最高だね。これを食べるのが、
いつも楽しみなんだ」
うまそうにたいらげるイセを前に、職員は愕然とし、返す
言葉もなかった。
そんなエピソードも残っている。
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「知床五湖 一湖」
写真提供/北海道無料写真素材集 DO PHOTOさん