2016年12月16日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(8)/通巻146話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


電話は、神戸の旅行会社からだった。

神戸からも、毎年、修学旅行生がくるようになっていたのだ。

しかし、その年は、1月17日、忘れもしない、阪神淡路大震
災のあった年である。

「今年は(修学旅行は)無理でしょうね」と、職員同士で話し
ていた矢先であった。

けれども、電話の向こうの担当者は、こう言った。

「今年も行きます。もちろん、お金もきちんと出します」

そして、「ただ…」と、ことばをつないだ。

「もしできたら、何か記念になるものを添えていただけると、
ありがたいのですが…。女子校で、150名ほどになります」

神戸の子どもたちを、少しでも勇気づけることができるなら…。

職員たちは話し合い、網走監獄に来た記念になる写真を、人
数分、プレゼントすることを決めた。

その写真とは、網走湖のうえに、ハートが描かれた写真だった。

周囲39キロもある網走湖だが、これが冬になると完全結氷
してしまう。

ひとびとは、スノーモービルで湖上を駆けたり、穴を開けて
ワカサギ釣りを楽しんだりするのだ。

当時、その網走湖で、「ビッグハート」というイベントがもよおさ
れた。

火のついたたいまつを並べて、近くのホテルの階上から見ると、
ハートのかたちに見えるようにするイベントだ。

震災のあったこの年、そこにはさらに、「神戸ファイト」という文
字が添えられたのだ。

そのようすを、さらに網走監獄の高台から撮った。

網走監獄のシンボルともいえる「五翼放射状平屋舎房」が、神
戸ファイトのハートとともに、写真におさまった。

これこそ、ほかにない記念になるだろう。

職員たちは、写真屋に150人ぶんの焼き増しを依頼し、その
日にそなえた。

その日は、歓迎行事がおこなわれることになっていたのだが、
突然、イセが、「わたすにも話をさせてほしい」と言い出した。

このとき、イセ、94歳。

職員たちは、一瞬、当惑した。修学旅行の途中であるから、
生徒たちにあたえられた時間はかぎられている。

そんななかで、イセは何を話すつもりなのだろう。

イセは、ゆっくりと壇上にあがった。

ちなみに、このころ、イセは、杖をつくようになっていたが、こう
した場で、杖をつく姿を見せることをきらった。

このときも、杖なしで、生徒たちの前に立ち、あとで職員にマ
ッサージを頼んでいたという。

負けず嫌いは、この年になっても変わらないようだ。

イセは、いつものようにマイクは使わず、朗々とした声で語った。

「みなさん、今日はよく来てくださいました。

突然、こんなおばあさんが出てきて、びっくりしたと思います。
なぜ、わたすがここにいると思いますか?

わたすは、実は地獄を見た体験があります。

いまは法律で禁止されて、ないけれども、女として絶対に行っ
てはいけないところに行きました。

そこで、大変苦しい想いをしました。

でもね。あなたたちが体験した苦しみには負けます。

わたすは、たくさんのひとに助けられて、いまはこの、博物館
の理事長をやっています。

『ばっちゃん』とか『ばあちゃん』と呼ばれて、大切にしても
らっています。

だから、あなたたちも大丈夫です。

ここには、お父さん、お母さんを、亡くしたひともいるかもし
れません。

だけれども、嘆くよりも、こうやってあなたがたを、この世に
生み出してくれた、お父さんお母さんに、感謝してください。

その気持ちをもって、一所懸命生きてください」

イセの話を聴きながら、生徒たちが次々と泣きだした。

そうして、イセが話し終わると、女の子たちは、口々に、「ば
っちゃん、ばあちゃん」と、イセを取り囲んだ。

生徒たちが帰ったあと、イセは、職員に伝えた。

「神戸の子どもがくるときは、必ず、私を呼びなさい」

そして、そのたびに生徒たちを歓待し、はげましたのだった。

それは、1年半近くつづけられたろうか。

最後の学校は、定時制の学校だった。

その学校は、いつも2月に修学旅行をおこなっていた。

ところが、1995年は、震災直後であり、修学旅行そのもの
をおこなうことができなかった。

そのため、修学旅行を体験することができずに、卒業していく
生徒たちがいる。

その学校は、なんと、そのとき旅行に行くことができずに卒業
した生徒たちをも引き連れて、網走監獄にあらわれたのだった。

そんなさまざまなエピソードもふくめながら、約1000名の生徒
たちを受け入れ、神戸の応援は、ひと区切りをつけたのだという。


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※網走以外の、オホーツク地方の写真も掲載していきます。
senmou.jpg
「釧網本線 北浜駅付近」 
写真提供/北海道無料写真素材集 DO PHOTOさん
posted by 夢実子「語り劇」プロジェクト at 09:46| Comment(0) | 物語版「零(zero)に立つ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする