2016年12月13日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(5)/通巻143話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


議員をやめると同時に、イセは、そのほかの公職からも次々
としりぞいた。

網走市物価監査委員、家裁家事調停委員、母子相談員、
市社会教育委員、網走防犯協会理事、市法律相談委員…
などなど。

イセは、これらの仕事を「名誉職」とはとらえず、ていねい
に対応していたから、その多忙ぶりは、並みのものではなか
ったのである。

議員をしりぞいても、その多忙さには、変わりはなかった。

むしろ、議員をやめたことにより、あちこちから、講演の声
がいっせいにかかった。

また、家にもひっきりなしにひとがたずねてきた。政治家か
ら庶民にいたるまで、イセはいつも相談相手となっていたの
である。

そして、イセ自身も、議員はしりぞいたとはいえ、やりたい
ことはまだまだあった。

ひとつは、はたらく女性の支援である。

当時の網走市内には4軒の保育園があったが、どこも、17
時までには子どもを引き取る規則になっていた。

しかし、たいていの職場は、勤務時間が17時以降まである
ため、子どもを迎えに行くためには、早退をしなければなら
ない。

これでは、女性の地位向上も望むことができない。

「ばっちゃん、なんとか助けてください」

そんな相談を受けて、イセは、みずから、私立の保育園を設
立することを決意する。

1981年、社会福祉法人網走愛育会を設立して、自らも理
事長に就任。潮見保育園を開設したのである。

もともと、イセは子どもが好きだった。

自分の子どもを直接育てることはかなわなかったが、保育園
に行くと、たくさんの子どもたちがむかえてくれる。

子どもたちを見ると、イセのこころははずんだ。

80歳になっても、体力にはなお自信がある。さらには健康
管理を考え、しばらく前から、毎朝1時間の乾布摩擦を欠か
さない。

もちろん、武術の修練もつづけており、みずからをきたえる
ことをやめなかった。

そんなイセだから、80歳を超えてなお、子どもたちと鬼ご
っこをしたり、駆けっこをすることも可能だったのである。

園庭には、しばしば、子どもたちとイセの笑い声がひびいた。

保育士と遊んでいるのかと思って、保護者がのぞくと、白髪
のイセが、園児にまじって走っていて、度肝をぬいたりもし
た。

また、自身が貧しく、お金のために苦労した体験から、子ど
もたちが入園すると、一人ひとりに貯金通帳をつくった。

毎月少しずつの貯金を積み立てし、それを卒園のときにわた
したのである。

「子どものときから、お金のこともきちんと自分で考えられ
るようにね」

子どもたちは無邪気に通帳を受け取ったが、親たちは、先を
見通したイセの配慮に、はっとしたのである。


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※網走以外の、オホーツク地方の写真も掲載していきます。
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「滝上芝桜公園」 
写真提供/北海道無料写真素材集 DO PHOTOさん
posted by 夢実子「語り劇」プロジェクト at 10:21| Comment(0) | 物語版「零(zero)に立つ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする