2016年12月31日

★大募集!★「零(zero)に立つ」感想文(2016.12.31-2017.1.12)

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしたものです。

※あらすじと、バックナンバーは、こちら


「零(zero)に立つ」感想大募集〜

募集期間/2016年12月31日〜2017年1月12日23時59分
条件/物語版「零(zero)に立つ」の感想を、400字以上

結果発表/2017年1月15日(日)の当ブログにて!
お申し込み/ こちら
問い合わせ/info@kamewaza.com


スペシャル特典

投稿していただいたかた全員に夢実子さんの講話録
 「中川イセのあきらめない精神を語る」
音声データをプレゼント。
 (限定公開のURLをお知らせします)


いただいたすべての感想のなかから、5名のかたに特別プレゼント

 1)1月30日・東京・首都圏公演ミーティング(2000円)に無料ご招待!
 2)冊子「零(zero)に立つ」第1巻をプレゼント
 3)かめおかより北海道土産を進呈
(お届けは、帰省時2月以降になります)

※いわゆる文章の優劣ではなく、
 ご自身の素直な気持ちが表現されているものを優先します
 どうぞ、自由な感想をお寄せください

※いただいた感想は、ブログ上でご紹介させていただくとともに、
 今後、中川イセさんや、語り劇「零(zero)に立つ」「掌編・中川イセの物語」
 を、より多くのひとに知っていただくために活用させていただきます。

ご応募、お待ちしています!!

よびかけ2.jpg
※この「イセさん」は、博物館「網走監獄」の事務所にあった、木彫りの「人形」です。(写真からきり抜きました〜)

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「零(zero)に立つ」第1巻
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【保存版】あらすじ★物語版「零(zero)に立つ」

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしたものです。

連載は、2016年12月30日で完結しました。


物語版「零(zero)に立つ」あらすじ

★第1章★ いせよ誕生
明治34年(1901年)、今野安蔵・サダの娘、いせよ(のちの中川イセ)
誕生。サダは、産後の肥立ちが悪く、死を予感。ヤクザものの安蔵にあとを
託すことを怖れ、佐藤コウに里親を頼むと、その年のうちに亡くなった。
    

★第2章★ 差別と貧しさのなかで
イセは佐藤家の里子になった。佐藤家は貧しく、イセはまわりからいじめられ
たり、差別を受けたりするが、コウの愛情、親友・渡辺みよしの存在、自身の
負けず嫌いの性格で、それらをはね返して成長していく。
     10 11 12 13 14 

★第3章★ はじめての家出
10歳で実家に連れもどされイセは、学校にも行けず、仕事に明け暮れる。
11歳の夏、モヨとの口論から、初めての家出。山形の船山先生夫妻の
家で住み込みの女中をし、かわいがられるも、翌春、船山先生に満州へ
の転勤辞令が出て、再び実家にもどることになる。
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25

★第4章★ イセの初恋
またまた家出し、米沢の寮づきの織物工場ではたらく。仲間もできて楽し
い日々。そんな中、隣に住む名家の次男坊・戸田茂雄との初恋も体験。し
かし、安蔵にイセの居場所を知られたことで、イセは実家に帰ることに…。
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★第5章★ 女優志願
実家にいる間、地域巡演で山形にきた松井須磨子(実はにせもの)にあこが
れ、家出して上京する。しかし、たずねた帝国劇場に須磨子はおらず、い
くつかの仕事を転々とするが、結局あきらめて山形にもどることになる。
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★第6章★ 運命の歯車
人絹工場、機織り工場などではたらくうち、かつて実家に出入りしていた
芸人・八重松と再会。乱暴されて子どもを身ごもり、17歳で娘・愛子を
出産。その後、北海道の遊廓への話をもちかけられ、悩んだ末、イセは3
年で500円の借金をし、そのお金で愛子を里子に出すことにする。
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★第7章★ 網走まで
大正7年暮れ、イセは北海道に旅立った。ところが途中で虫垂炎から腹
膜炎をおこし、到着した旭川で即入院。借金が倍の1000円となり、
網走の遊廓に売られることに。駅前の島田食堂の夫婦にかわいがられる。
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★第8章★「お職」になる!
自転車を借りて町内を乗り回したり、柔道場に通ったりしたイセだが、娼
妓になると今度は、囲碁や将棋をおぼえ、お客を楽しませる工夫をした。
また酒に強く、何度も杯を重ね、そこから収益をあげることも考えた。
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★第9章★「小梅」の死
イセは、娼妓に乱暴した客を一本背負いで投げ飛ばすなどで、娼妓たちの
信頼を勝ち得ていった。しかし一方で、妹ぶんの「小梅」が、失恋を苦に
自死。小梅の死をきっかけに、娼妓みんなでちからをあわせることを誓う。
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★第10章★中川卓治という男
イセは、柔道場で出会った中川卓治と親しくなり、急速に気持ちが近づい
ていく。卓治の妹・タマは、2人の交際をはげしく反対するが、卓治はイ
セに求婚し、イセは身請けされて、ついに遊廓を出る。
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★第11章★樺太にて
中川家よりもイセを選んだ卓治。2人は樺太にわたり、仕事を見つけて
はたらき、暮らしを立てた。卓治は、酒がもとでけんかをして大けがを
したりもするが、ついに茂市の許しが出て、網走に帰れることになる。
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★第12章★岬の日々
網走の能取岬にある中川牧場の管理をまかされたイセたち。その雄大な
景色にイセは魅了される。乗馬も覚え、少しずつ馬との暮らしに親しみ、冬
になれば、流氷の美しさに見とれる。平和な日々がすぎていく。
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★第13章★茂市の死
卓治の父・茂市が、娘婿・東条貞の選挙資金調達で14万円の借金を残
して死去。イセと卓治はその借金を引き受ける。拓銀に50年割賦(ロー
ン)を頼むため、イセは札幌本店に出向き、交渉を成立させる。
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★第14章★戦況のなかで
借金返済のため、卓治とイセは、馬喰となった。また、念願の愛子をひき
とり、やがて、養子の清と結婚させる。しかし、清は、海軍に招集され、戦死。
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★第15章★米軍上陸?!
1945年7月、網走空襲。米軍が上陸するかも…という緊迫感のなか、イセ
は自分がおとりになるから、みんなは逃げろと宣言し、町長公宅に泊まり込む。
しかし米軍は上陸せず、8月15日、終戦をむかえる。
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★第16章★初の女性市議会議員誕生
1947年4月、網走が市政変更になったのを受け、初の市議会議員選挙。女
性参政権ができて最初の選挙となり、イセはまわりにおされて立候補。30議
席に83人の立候補だったが、下から3番目で当選。最初の街頭演説の日、
イセは、踏み切りの前に立ち、遊廓時代に亡くなった小梅に演説を聴かせる。
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★第17章★イセ、奔走す!
議員1期めから2期目へ。家の前でのラジオ体操。保育園建設。そして、日
本鋼管とかけあっての、網走での水道敷設。イセは精力的に動きつづけた。
なかでも、一番力を注いだのは、人権擁護の活動だった。遊廓まがいの商売
をしている店に乗り込み、商売替えさせたり、法務局に通告したりした。
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★第18章★塀の向こう
人権擁護委員のイセのもとに、網走刑務所から、受刑者に話をしてほしいと
依頼がきた。イセは、北海道の道路をつくるために、たくさんの受刑者がい
のちを落としたことを知り、感謝する。そして、みずからの生い立ちを語る
と、受刑者たちは涙ながらにイセの話を聴いた。
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★第19章★駆け抜ける日々
自民党道連の婦人部長に抜擢されたイセは、中央の政治家とのつながりも
つくる。そんななか、夫・卓治と、孫の尋仁が次々に亡くなる。74歳で議員
引退後も、保育園創設、博物館「網走監獄」の理事長と活躍をつづける。阪
神淡路大震災のあとは、修学旅行の生徒たちを歓待もした。
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★第20章★一世紀を生きて
イセは、その数奇な運命が話題となり、メディアにとりあげられるようにな
る。100歳を超えてもその意気はおとろえなかったが、2004年、脳梗
塞でたおれ、2年あまりの闘病の末、2007年1月1日深夜、その生涯を
終える。魂はいま、愛する能取岬のうえを飛んでいるだろうか。
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ご愛読ありがとうございました


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2016年12月30日

【最終回】物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(9)/通巻155話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


イセが亡くなったという知らせは、新聞・テレビなどで、一
斉に報じられた。

多くのひとびとが、数奇な運命を生きた、このひとりの女性
の死を悼んだ。

網走市は、1月20日に、市民葬をとりおこなうことを決めた。

その日、天井まで届きそうなほどの花が、祭壇のまわりを埋
めつくした。おとずれた市民の数は、800人にもおよんだ。

イセが市議会議員をつとめていた時代、網走市長であった安
藤哲郎は、イセについて、こんなことばを残している。

「どん底から這いあがり、逆境を克服し、その強靭な精神力
での“天下御免”の活躍は、庶民の味方として、また女性の
味方としても、こんなに頼もしい人はおりません」

議員時代、イセと親交のあった、網走市議会議長(当時)の
田村直美は、

「男まさりのきっぷで、時の首相や幹事長にズケズケものを
言った」と、当時をしのびながら述懐した。

そのほか、イセを評することばをいくつか紹介しておこう。

・「北海道を開拓した北の女性の代表」
               (元北海道知事の横路孝弘)

・「覚者としての人の味が、一種迫力となって伝わってくる」
(雑誌『北海道味と旅』元編集長・山本祥子)

・「自分が何者で、何をすべきかを知っている顔」(司馬遼太郎)

(※ここまでの記述は、ウィキペディアを参照しました)


能取岬ドローンから.png

いま、網走の小高い丘にある墓苑に、イセは眠っている。

そこからは、イセの愛した能取岬を、直接には、のぞむ
ことはできない。

しかし、もはや肉体のしばりをときはなたれたイセの魂は、
かるがると空の高みを駈け、岬のうえをどこまでも飛んで
いくだろう。


イセの娘・愛子は、その数年後、90歳を手前にこの世を
去った。

ちなみに、イセの実父、今野安蔵は、先妻とのあいだにで
きた娘に引き取られて、晩年は、妻モヨとともに、網走の
近くの町に住み、亡くなった。

イセの直接の血は絶えたが、イセを生み出した安蔵の血
は残り、その血のどこかに、「イセ」は受け継がれていくの
かもしれない。

今日も、能取岬の緑の大地のうえを、風が吹き抜けていく。

眼下に広がるオホーツクの海は、どこまでも青い。

                          (完)


2015年8月、語り劇「零(zero)に立つ」網走初演の際
におとずれた、能取岬の光景を、ドローンにて撮影しま
した。ぜひごらんください。イセさんの視点を、ともにたどれ
るかもしれません。(操縦・撮影・動画作成/アキラ)
https://youtu.be/dCXkAw2DkKw


お知らせ
「零(zero)に立つ」感想文を募集します!
詳細は、明日の、このブログにて!

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2016年12月29日

物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(8)/通巻154話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

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脳溢血であった。

すぐに病院に運ばれ、なんとか一命はとりとめたが、意識は
もどらなかった。

たおれて以来、イセは、ただ昏々と眠りつづけた。

…いや、はたして本当にそうであったろうか。

これは、憶測だけれども、ひとつの可能性として。

全身がまったく動かないために、意識がないと思われてしま
う状態のことを、「ロックトインシンドローム」という。

全身がまひするので、からだのどこも動かすことができない。

声はもちろん出ない。くちびるを動かすことさえもできない。

まわりの話は完全に聴こえているが、それに反応することが
できない。

目も見えているが、まばたきさえできないので、意思を伝え
ることはほぼ不可能になる。

そうしたひとたちが、いわゆる「植物状態」と呼ばれるひと
たちのなかにも、おおぜいいることが、最近の研究によって
わかってきた。

そうしたひとたちの意識回復のためのサイトも存在する。
(「白雪姫プロジェクト」)

イセが、そうでなかったとは、誰にも言うことはできない。

ともあれ、親戚を中心に、まわりのひとたちは、交代で看病
についた。

そうして、2004年が暮れ、回復のきざしも見ないまま、
2005年も暮れていった。

そのかん、イセは、何度か容態が悪化することがあった。

あるときなどは危篤となり、葬儀の日取りを決めたほう
がいいのではないか、という状態にまでなった。

しかし、イセは、そのときでさえ、奇跡のように持ち直した。

まわりのものたちは、イセの強靱な体力と気力に感嘆した。

そうして、2006年も暮れようとするとき、ふたたび容態が
悪化した。

親戚やまわりのものたちが集められたが、小康状態にな
ったこともあり、

「ばっちゃん、今回も大丈夫だろう」

年末年始ということもあって、みなは、帰っていった。

正月をともにむかえたのは、宗治の娘、和子であった。

イセは、初日の出をおがむこともなく、眠りつづけていた。

元旦の日はゆっくりと暮れていき、やがて夜になった。

静かな夜だった。

ふと、時計を見ると、まもなく23時になろうとしていた。

2007年も、このまま、こんなふうに過ぎていくのだろ
うか。

よろこんでもかなしんでも、ときは刻々と過ぎていく。

そのときの流れのなかに、ひとは生まれ、死んでいく。

誰ひとり、その流れから、はずれることはできない。

元旦。1月1日。1が並ぶ日。

(ばあちゃん、一番が好きだったねえ…)

和子が、何気なく、そう思ったときである。

イセの息が、ふっと止まった。

(え…?)

和子は、どきっとした。

「ばあちゃん…? ばあちゃん…!」

声をかけたが、イセは、もう、息をしていなかった。

和子は、あわてて、医師を呼びに病室を飛び出した。

1月1日22時55分。臨終。

「1月1日かあ。さすがは、中川のばっちゃんだ」

知らせを受け、駆けつけたものたちがつぶやいた。

105歳の大往生であった。



(明日、最終回となります)



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2016年12月28日

物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(7)/通巻153話

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イセは、昔から、困ったひとを見ると、つい援助せずにはい
られないたちである。

周囲のものが、「ほっとくと、お財布がからっぽになる」と
危惧してしまうほどだった。

収入がふえても、それで豪華な生活をしたいとは思わなかっ
た。だから、イセの生活は、ずっと質素なままだった。

また、その豪放磊落さで、男まさりのイメージが先行するイ
セではあるが、けっしてがさつであったわけではない。

「私のなかの歴史」を聴き書きした、北海道新聞の記者、石
原は、「身ぎれいにしていて、いつでも女性らしさを忘れな
いひとでしたね」と、述懐する。

「いせの里」で、イセをしたう職員や、元気にあやかろうと
する入居者たちに囲まれて暮らす日々を、イセは静かに楽し
んでいた。

もっとも、完全に「引退」できたわけではない。

イセに相談ごとを持ちかけるものは、相変わらず引きも切ら
なかったし、イセ自身も夢をもっていた。

それは、「いせの里」の近くに、高齢者のための施設を、も
うひとつつくることだった。

「ダンスホールのある施設をつくりたいんだよ。踊れば、元
気が出るよ。毎日が生き生きするよ。そんなホームがあって
いいじゃないか」

周囲のものたちは、感嘆しつつも、なかばあきれた。そんな
イセにたいして、

「ばっちゃん、無理ですよ。お金はどうするんですか」

などと、意見を言おうものなら、イセは、しれっとこたえた
ものだ。

「わたすに意見を言いたいなら、3ケタ(100歳)になって
からにしてもらいたいね」

…もはや、口出しするものはいなくなったという。

2004年、イセは、103歳になった。

8月26日の103歳の誕生日には、たくさんのひとが集ま
って、お祝いをした。

その約1か月前の、「いせの里」の「いせの里祭」で、イセの
写真が撮られた。それが、ポストカードとして配られた。

P_20141207_135541_NT.jpg

(「いせの里」さんで、現物を撮影させていただいたため、
左がわの部分に、反射の光が入っています)

おおきな花束も贈られた。

イセは、いつも以上にごきげんで、満面の笑みをはじけさせた。

「ばっちゃん、シャンパン、いかがですか?」

このところやめていた酒であったが、イセは上機嫌で、そ
れも飲み干した。

楽しい時間は、この先まだまだつづくかと思われた。

その2日後、イセは、たおれた。


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2016年12月27日

物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(6)/通巻152話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
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イセは、年齢を、いつも「数え」で数えていたから、2000
年は、イセにとって、100歳ということになる。

この年、博物館「網走監獄」保存財団では、長年使っていた
財団の車を、買い替えることにしていた。

ふだん、イセが乗っている車であることから、職員がイセに
たずねた。

「何か、希望の番号はありますか?」

「番号って、好きにつけられるものなのかい?」

「はい。お好きな番号を」

「それじゃ、100番がいいね」

子どものころから、なんでも1番が好きだった。その気持ち
は、いくつになっても変わらない。

1番ではなく、100番にしたのは、100歳になった記念とい
うことがあるのだろう。

しかし、車が納車されて、ほどなくして、イセは言った。

「わたすは、今年で、理事長をおりるからね」

職員たちはあわてた。寝耳に水の話だったからだ。

たしかに、寄る年波で、さすがのイセも、車椅子や杖をてば
なせなくなってきてはいた。

とはいえ、思考力や明晰さに変わりはなく、博物館に大切な
お客さまがくれば、みずから案内に出たし、講演の依頼を受
ければ引き受けて、出かけてもいた。

何か事件があったというわけでもない。当然、職員たちは引
き止めたが、いったん決めたイセの意思はゆるがない。

結局、理事長はおりて、「名誉会長」に就任することになった。

イセを乗せることのなくなった財団の車は、それ以降も、
「100番」のまま使われつづけている。

2001年、イセは、100歳になった。

敬老の日には、大場脩網走市長(当時)から花束が贈られ、
小泉純一郎首相(当時)からは、記念品と褒章を贈られている。

イセは、みずから設立にかかわり、理事長にもなった「いせ
の里」で暮らすようになっていた。

その理事長職も、このころ、退任している。

しかし、長年呼ばれ慣れた呼称であるせいだろうか。

「中川さん」と呼ばれても振り返ることをせず、「理事長」と
呼ぶと、振り向いたという、エピソードが残っている。

ちなみに、この「いせの里」には、娘の愛子も一緒に入って
いた。

愛子は、1985年に、再婚した夫が死去したのにともない、
イセのもとに通って、講演などにもつきそうようになっていた。

17歳で愛子を産んだイセだが、2001年には、その愛子
も83歳。

14年間、離ればなれに暮らした親子が、こころをかよわす
ためには、それなりの年月を必要とせざるを得なかった。

しかし、それもここにきて、ようやく実を結びはじめている
のかもしれない。

2002年、卓治の息子、宗治が亡くなった。脳卒中だった。
享年85歳。

宗治は、能取岬の牧場をつぎ、結婚して、2人の娘をもうけた。

娘のひとり、和子は、専門学校時代を東京で過ごしたが、上
京したイセに、永田町の議員会館に連れていってもらったこ
とがある。

歴代の首相とも親交のあったイセのこと、後輩にあたる政治
家たちのなかには、イセをしたい、頼るものも少なくなかった。

「網走のばっちゃんが来た」

「ばっちゃん、お元気ですか?」

イセが行くと、まわりから、絶えずそんな声がかかる。

あるときのこと。和子が、イセについていくと、そこは、ある
大臣の部屋だった。

大臣は、たまたま席をはずしていた。

案内した議員が、呼んでくると言って、席を立った。

しばしのあいだ、部屋には、イセと和子の二人きりになった。

イセが、にやっと笑って言った。

「せっかくだから、椅子にすわってごらんよ」

りっぱな背もたれとひじかけのついた、大臣の椅子である。

「え? いいの?」

「いいんだ、かまやしないよ」

イセは、愉快そうに笑った。

また、博物館「網走監獄」理事長時代の話であるが、やはり、
職員を連れて、議員会館に来たときのこと。

「ここにくると、いつも食べるものがあるんだ。あれはほか
では食べられないね。ごちそうしてやる」

イセのことばに、職員はわくわくした。東京で、ほかでは食
べられないものといったら、築地の寿司とか?!

そんな期待でいっぱいの、職員の前に運ばれてきたのは、
ただの、さばの味噌煮定食であった。

「ここのさば味噌煮定食は、最高だね。これを食べるのが、
いつも楽しみなんだ」

うまそうにたいらげるイセを前に、職員は愕然とし、返す
言葉もなかった。

そんなエピソードも残っている。


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2016年12月26日

物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(5)/通巻151話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


1993年、北海道新聞網走支局の若手記者・石原宏治が、
夕刊連載「私のなかの歴史 中川イセ」の担当となる。

その道の著名人などを取材し、十数回にわたって連載して
いるシリーズである。

このとき、イセ、92歳。石原は25歳。まだ大学を出て数
年、仕事がようやく板についてきたばかりのころである。

石原は、ほぼ毎日、夕刻になると、イセの家に立ち寄る。

イセがたずねる。

「めし、食ってきたか?」

「まだです」

「んじゃ、食ってけ」

決まり文句だった。食事をさせてもらい、イセの話を聴く。
そんな日々が半年におよんだ。

イセは、孫のような年の石原を、「友人」と呼んだ。

「これまで、いろいろとわたすのことを書いてくれるひとは
いたけど、事実とちがってることを書かれたりしてね。友人
のあんたには、本当のことだけ書いてほしいんだ」

石原は、真剣にうなずき、その約束を守った。

16回にわたる連載は、おおきな反響を呼び、また、イセの
後年の活動を伝える貴重な資料ともなっている。

ところで、イセの家には、しばしばひとがおとずれていた。

ときに、たずねると、それなりの要職にあるものたちが、真
剣な顔で相談をしていることがあった。

石原が入っていくと、ぴたりと話をやめる。

あっと想って、石原が引き返そうとすると、イセが止めて言
った。

「いいんだ。このひと(石原)は信頼できるひとだから。話
が終わるまで、そこで待ってなさい」

そう言って、話をつづけたという。

実は、そんなふうに、「このひとは信頼できるから」と言わ
れて、内密の話の場に立ち会った体験をもつひとが、ほ
かにもいる。

もしかして、それは、イセ流の「ひとの育てかた」ではなか
ったか。

自分が信頼されていると感じると、ひとは誰でもうれしく感
じるものだし、その信頼をうらぎらない生きかたをしようと、
思うものだろうから。

いずれにしても、イセは、若いものたちを育てたいという気
持ちを、いつでももっていた。

正月三が日のあいだ、イセはいつも、たずねてくるひとにた
いして、「お年玉」をわたしていた。

あらかじめ、お年玉を入れた御祝儀袋を大量につくり、たず
ねてきたひとにわたすのだ。

党派のちがうものであっても、それは分けへだてなかった。

だからこそ、ひとは、「(中川の)ばっちゃん」と、イセをした
ったのである。

1999年、イセは、白寿をむかえ、網走では、「中川イセ白
寿記念講演会」がひらかれた。

ゲストには、作家で作詞家の永六輔がまねかれた。

永は、歌手の淡谷のり子を引き合いにだし、「二人には、
頑固さと強さという共通点がある」と、イセをほめたたえ
たという。

イセもまた、「地道にがんばれば、誰でもことをなすことが
てきる」と、持論を語った。

そして、「網走は、懸命にはたらいたひとを、あたたかくむ
かえてくれるところ」と、この第2の故郷への感謝のことば
を忘れなかった。


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2016年12月25日

思いがけないつながり(向陽が丘病院のこと)

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


思いがけないつながり(向陽が丘病院のこと)

7か月あまりの連載のなかで、私は、現在進行形で、イセさ
んの仕事にふれてきた、という気がする。

昨年、語り劇「零(zero)に立つ」の脚本を書いてはいたが、
それは、おもに、山谷一郎著「岬を駈ける女」を主要資料と
してのものだった。

(もちろん、その他の資料も参考にはさせてもらったが)

けれども、そのときは、まだまだイセさんの全体像をつかみ
きれていなかったように思うのだ。

なんとか、骨格をつかみ、舞台化できる部分を抽出したとい
うのが正直なところだろう。

こうして、幼少時から晩年にいたるまでを、経年で書くこと
によって、やっと全体が見えてきたという感じなのだ。

で、当然ながら、見落としもある。

「あっ、こんなエピソードもあった!」と気づいたが、す
でにその章は終わっていたりするわけだ。

そのうちのひとつが、北海道立向陽ケ丘病院(当初は、網走
市立向陽ケ丘病院)の誘致の話だ。

上水道敷設をめぐって、日本鋼管とかけあっていた1950
年ころ、もうひとつ、イセさんがかかわっていたのが、病院
誘致だった。

当時の北海道知事である田中敏文のもとへ、イセさんはお
とずれ、網走への病院誘致を請願した。

ところが、そのころ、ほかの市町村から同様の請願はなかっ
たのだが、イセさんが動いたことを知るや、他の市町村も、
がぜん動き出したらしい。

そして、猛勢をかけた他の市の請願が、先にとおってしまっ
たのである。

これには、イセさんは大憤慨した。何しろ負けず嫌いな性格
である。

「私が一番先に願い出たのに、あっちの運動が激しいから、
そっちにするっていうのはどういうことか! 女だからって
バカにするのか!」

と、知事に食ってかかったらしい。

「女だから」というのは、ほとんど思いこみの言いがかりの
ような気がしないでもないが、ある意味、イセさんらしいと
いえば、らしい。(笑)

結果、イセさんの剣幕に、田中はついに根負けし、1952
年に同病院が設置されたという。

ちなみに、この向陽ケ丘病院、私にはひとかたならぬ思い
出のある病院なのだ。

向陽ケ丘病院の診療科目は、精神科と神経科である。

私は、4歳のときに、てんかんに似た発作を起こし、向陽ケ
丘病院の神経科のお世話になった。

そのときの脳波の検査で、「通常時には出ない脳波が出て
いる」(記憶なのでさだかではないが、そんな表現だった)
と言われ、継続して、脳波の検査を受けることになった。

年に2回、頭に電極をつないで検査を受け、中身はさだか
ではないが、毎日、薬を飲むように言われた。

子どもだった私は、「脳波をはかると、考えていることも全
部知られる」と思いこみ、検査中はできるだけ何も考えない
ようにしていた、記憶がある。(笑)

また、毎日の薬は、正直、面倒だった。

学校で昼食後に薬を飲んでいると、きまって、友だちに
「何の薬か?」と訊かれるのである。

毎日のことなので、「風邪」とか「胃腸」とかこたえることも
できない。

「アタマのよくなる薬」と、まんざらうそでもない?返事を
すると、友だちは、わかったようなわからないような顔をし
て、それ以上聴いてこなかった。

発作は、幼少時のみで、その後はまったく起きなかったが、
相変わらず、通常時にはない脳波は、出つづけていた。

発作が起きないので、薬をどんどんさぼるようになり、し
まいには、めったに飲まなくなった。

19歳で地元を離れることになったとき、「そんだけ、薬
をさぼっていても、症状が出ないなら、まあ、大丈夫でし
ょう」というわけで、灰色放免となった。

いまもって、脳波は出つづけているかもしれないが、たし
かめようがない。

イセさんの取材のなかで、私が15年の長きにわたって通
った病院が、実は、イセさんの請願と無茶ぶり!によって
建てられたと知った。

こんなところで、イセさんと私はつながっていたのだ、と
勝手な感慨にふけった…という、大変、個人的なハナシ
なのである。

いずれにしても、網走市民のみならず、周辺市町村のひと
びとは、知らないところで、イセさんの恩恵にあずかって
いるのかもしれないのだった。


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2016年12月24日

最後の「これまでのあらすじ」/卓治の評判

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。


これまでのあらすじ

★第1章★ いせよ誕生
明治34年(1901年)、今野安蔵・サダの娘、いせよ(のちの中川イセ)
誕生。サダは、産後の肥立ちが悪く、死を予感。ヤクザものの安蔵にあとを
託すことを怖れ、佐藤コウに里親を頼むと、その年のうちに亡くなった。
    

★第2章★ 差別と貧しさのなかで
イセは佐藤家の里子になった。佐藤家は貧しく、イセはまわりからいじめられ
たり、差別を受けたりするが、コウの愛情、親友・渡辺みよしの存在、自身の
負けず嫌いの性格で、それらをはね返して成長していく。
     10 11 12 13 14 

★第3章★ はじめての家出
10歳で実家に連れもどされイセは、学校にも行けず、仕事に明け暮れる。
11歳の夏、モヨとの口論から、初めての家出。山形の船山先生夫妻の
家で住み込みの女中をし、かわいがられるも、翌春、船山先生に満州へ
の転勤辞令が出て、再び実家にもどることになる。
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25

★第4章★ イセの初恋
またまた家出し、米沢の寮づきの織物工場ではたらく。仲間もできて楽し
い日々。そんな中、隣に住む名家の次男坊・戸田茂雄との初恋も体験。し
かし、安蔵にイセの居場所を知られたことで、イセは実家に帰ることに…。
26 27 28 29 30 31 

★第5章★ 女優志願
実家にいる間、地域巡演で山形にきた松井須磨子(実はにせもの)にあこが
れ、家出して上京する。しかし、たずねた帝国劇場に須磨子はおらず、い
くつかの仕事を転々とするが、結局あきらめて山形にもどることになる。
32 33 34 35 36 37 

★第6章★ 運命の歯車
人絹工場、機織り工場などではたらくうち、かつて実家に出入りしていた
芸人・八重松と再会。乱暴されて子どもを身ごもり、17歳で娘・愛子を
出産。その後、北海道の遊廓への話をもちかけられ、悩んだ末、イセは3
年で500円の借金をし、そのお金で愛子を里子に出すことにする。
38 39 40 41 42 43 44 

★第7章★ 網走まで
大正7年暮れ、イセは北海道に旅立った。ところが途中で虫垂炎から腹
膜炎をおこし、到着した旭川で即入院。借金が倍の1000円となり、
網走の遊廓に売られることに。駅前の島田食堂の夫婦にかわいがられる。
45 46 47 48 49 

★第8章★「お職」になる!
自転車を借りて町内を乗り回したり、柔道場に通ったりしたイセだが、娼
妓になると今度は、囲碁や将棋をおぼえ、お客を楽しませる工夫をした。
また酒に強く、何度も杯を重ね、そこから収益をあげることも考えた。
51 52 53 54 55 56 57 58 59

★第9章★「小梅」の死
イセは、娼妓に乱暴した客を一本背負いで投げ飛ばすなどで、娼妓たちの
信頼を勝ち得ていった。しかし一方で、妹ぶんの「小梅」が、失恋を苦に
自死。小梅の死をきっかけに、娼妓みんなでちからをあわせることを誓う。
60 61 62 63 64 65 66 

★第10章★中川卓治という男
イセは、柔道場で出会った中川卓治と親しくなり、急速に気持ちが近づい
ていく。卓治の妹・タマは、2人の交際をはげしく反対するが、卓治はイ
セに求婚し、イセは身請けされて、ついに遊廓を出る。
67 68 69 70 71 

★第11章★樺太にて
中川家よりもイセを選んだ卓治。2人は樺太にわたり、仕事を見つけて
はたらき、暮らしを立てた。卓治は、酒がもとでけんかをして大けがを
したりもするが、ついに茂市の許しが出て、網走に帰れることになる。
72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 

★第12章★岬の日々
網走の能取岬にある中川牧場の管理をまかされたイセたち。その雄大な
景色にイセは魅了される。乗馬も覚え、少しずつ馬との暮らしに親しみ、冬
になれば、流氷の美しさに見とれる。平和な日々がすぎていく。
85 86 87 88 89 90 

★第13章★茂市の死
卓治の父・茂市が、娘婿・東条貞の選挙資金調達で14万円の借金を残
して死去。イセと卓治はその借金を引き受ける。拓銀に50年割賦(ロー
ン)を頼むため、イセは札幌本店に出向き、交渉を成立させる。
91 92 93 94 95 96 97 98 99

★第14章★戦況のなかで
借金返済のため、卓治とイセは、馬喰となった。また、念願の愛子をひき
とり、やがて、養子の清と結婚させる。しかし、清は、海軍に招集され、戦死。
100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 
111 112

★第15章★米軍上陸?!
1945年7月、網走空襲。米軍が上陸するかも…という緊迫感のなか、イセ
は自分がおとりになるから、みんなは逃げろと宣言し、町長公宅に泊まり込む。
しかし米軍は上陸せず、8月15日、終戦をむかえる。
113 114 115 116 117

★第16章★初の女性市議会議員誕生
1947年4月、網走が市政変更になったのを受け、初の市議会議員選挙。女
性参政権ができて最初の選挙となり、イセはまわりにおされて立候補。30議
席に83人の立候補だったが、下から3番目で当選。最初の街頭演説の日、
イセは、踏み切りの前に立ち、遊廓時代に亡くなった小梅に演説を聴かせる。
118 119 120 121 122

★第17章★イセ、奔走す!
議員1期めから2期目へ。家の前でのラジオ体操。保育園建設。そして、日
本鋼管とかけあっての、網走での水道敷設。イセは精力的に動きつづけた。
なかでも、一番力を注いだのは、人権擁護の活動だった。遊廓まがいの商売
をしている店に乗り込み、商売替えさせたり、法務局に通告したりした。
123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133

★第18章★塀の向こう
人権擁護委員のイセのもとに、網走刑務所から、受刑者に話をしてほしいと
依頼がきた。イセは、北海道の道路をつくるために、たくさんの受刑者がい
のちを落としたことを知り、感謝する。そして、みずからの生い立ちを語る
と、受刑者たちは涙ながらにイセの話を聴いた。
134 135 136 137 138

★第19章★駆け抜ける日々
自民党道連の婦人部長に抜擢されたイセは、中央の政治家とのつながりもつ
くる。そんななか、夫・卓治と、孫の尋仁が次々に亡くなる。74歳で議員
引退後も、保育園創設、博物館「網走監獄」の理事長と活躍をつづける。阪
神淡路大震災のあとは、修学旅行の生徒たちを歓待もした。
139 140 141 142 143 144 145 146

★第20章★一世紀を生きて(2016.12.22ぶんまで)
イセは、その数奇な運命が話題となり、メディアにとりあげられるように
なる。また、天童市への訪問も果たし、コウの墓に花をたむけ、親友みよ
しとも再会する。また、イセを主人公にした舞台が、天童でも上演される。
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いつもご愛読ありがとうございます

卓治の評判

社会的に活躍したひとのことは、やはり、なんだかんだ、記
録にも残り、ひとびとの記憶にも残っているから、情報は集
めやすい。

(それでも、わからないことはたくさんあるけれども)

けれども、その周辺のひとの記録となると、ほとんど残って
いないことが多い。

今回の「零(zero)に立つ」においては、イセさんの夫、卓治
がそうだ。

1919年〜1920年ころに出会い、亡くなる1962年まで、
イセと生活をともにした。

その卓治の記録は、馬喰組合の組合長をしていたことなど、
ごく一部しか残っていない。

ただ、一部の資料や、今回、取材をしてまわった範囲におい
ては、実はあまりかんばしい評判がないのだ。

とにかく、若いときから酒癖が悪い。

誰も明確に書いていないので、想像で書くけれども、おそら
くアルコール依存症の傾向があったのではないか。

樺太時代も、仕事ぶりについての評価は、あまりいいものが
ない。

鷹揚で、おおらかな性格、というのはまちがいないようだ。

街の名士の長男とあって、「ぼんぼん」であったことはたし
かだろう。

それゆえに、ちょっとしたことでくじける、こころの弱さをもっ
たひとではなかったか、と勝手に想像してしまう。

戦後は、年代はわからないが、脳卒中を起こし、後年は家で
静養する日々がつづいたようだ。

これも見かたによっては、若いころからの酒癖のツケがまわ
った、と言えなくもない。

と、さんざんに書いてしまったが、けれども、イセさん自身
は、卓治について批判的なことをまったく言っていない。

実情はわからないが、どの資料を見ても、あるいは取材を
していても、そういった話はひとつも聴かない。

むしろ、卓治が亡くなったことを、後年になっても、さびしく
想っている記録さえある。

だから、卓治本人がどんな人間であろうと、イセさんにとっ
ては、かけがえのない人生の伴侶であったことは、まちがい
ないのだ。

ひととひとのめぐりあいとは、そのようなものなのかもしれ
ない。

酒癖の悪い、ぼんぼん亭主だったからこそ、若いころのイ
セさんは、いっそうがんばったかもしれない。

何より、卓治が身請けをしてくれたからこそ、イセさんは、遊
廓を出ることができたのだから。

(イセさん自身が最初に背負った借金は、みずから返したよ
うだが、遊廓にいるあいだの、日々の生活費などによる借金
は残っていたらしい)

それだけで、イセさんは、一生ぶんの感謝を、卓治にたいし
て感じていたのかもしれない。

そして、卓治にとって、イセさんはどんな存在だったろう。

戦後直後、市議会議員になることを応援はしたものの、その
後、全国に名を知られる存在になるとは、想像もしていなか
ったろう。

議員時代のイセさんは、忙しかった。だから、卓治とゆっく
り過ごす時間も、充分にはとれなかったかもしれない。

イセさんが、自分から離れていくようなさびしさを、卓治は
感じてはいなかったか。

いや、そんなさびしさを感じさせぬよう、イセさんはふるま
ったかもしれないけれども…。

物語を書いていると、どうしても、イセさんにばかり光をあ
ててしまうけれども、すべてのひとびとの存在があってはじ
めて、そのひとの人生は成り立つ。

いま、卓治は、天国で、イセさんをとりもどしているのだろ
うか。

それとも、やはり、あちらでも、イセさんは飛び回ることに
忙しくて、おいてけぼりを食らっているだろうか。(笑)

いやいや、すべて解放されて、天国の酒を存分に飲みながら、
この物語を、にまにましながら、読んでいるかもしれない。

「イセ、おめえだら、死んでからも落ちつかねえなあ。たま
には、ここにすわって、一緒に酒でも飲むべ」

などと、つぶやきながら。…合掌。


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2016年12月23日

来週で、連載終了です★感想募集の予告

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
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※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
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今年5月23日から、平日連載で書きつづけてきた、物語版
「零(zero)に立つ」。

当初は、「岬を駈ける女」(山谷一郎)が、主要資料でした。

「あぐらばあちゃん」(佐々木悦)も、あわせて参考にさせて
いただきました。

「あぐらばあちゃん」は、北海道にわたるまでが中心で構成
され、「岬を駈ける女」は、選挙に初当選するところまでが
描かれています。

イセさんの半生記を描いた小説には、もう1作、「雪と風と
青い天」(金子きみ)もあります。

ただし、3作のなかでは、一番フィクションの要素が多いこ
とから、参考資料としてはふくめませんでした。

選挙初当選以降の記録については、「私のなかの歴史」(北
海道新聞連載。石原宏治)が、書きすすめる助けになりました。

また、天童市が2002年に開催した「天童が生んだ女性展」
の際に作成された資料集も、当時を知るひとたちの貴重な証
言が収録されており、おおいに参考にさせていただきました。

そしていよいよ、2014年以降の、自分自身が取材した記
録をふくめて、連載は、まとめの段階に入りました。

連載というと、あらかじめ書いたものを小分けにアップ…と
考えているかたも多いかと思いますが、

プロの小説家ではありませんので、そんなよゆうはありません。

毎朝、資料と首っぴきで、冷や汗たらたら、ようやく書き上
げているという感じです。(笑)

もともと、8月の山形公演を応援するつもりで、書きはじめ
た連載でした。

ですから、当初は、「岬を駈ける女」プラスαのところで終
わるつもりでいたので、もっと早くに終わるはずでした。

それがここまで書きつづけてしまった(笑)のは、ひとえに、
追いかければ追いかけるほど見えてくる、イセさんの魅力
のゆえ。

そして、「朝ドラよりおもしろい」「はまった」「毎朝の楽しみ
です」などと、感想をくださる読者のみなさんのおかげです。

実際、毎朝アップすると、2時間以内で、最新記事に60〜
80のアクセスが集まり、それだけのひとが読んでくださる
ということを、数字で示していただきました。

それがどれほどはげみになったかしれません。

けれども、その連載も、もうまもなく終わります。来週の、早
ければ水曜日、遅くとも金曜日には、「最終回」となる予定
です。

連載が終了しましたら、「感想募集」をおこないます。

ぜひぜひ、ご応募いただけたらうれしいです。

募集期間は、連載終了時〜2017年1月12日くらいを予定
しています。

連載終了の、その日か翌日に、詳細を告知いたします。

お正月休みに、投稿いただけるとうれしいです。

さあ、あと数回です! 最後まで冷や汗を書きながら、がん
ばります!(笑)


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2016年12月22日

物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(4)/通巻150話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
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直木賞候補にもなった『馬喰一代』という小説がある。のち
に、三船敏郎主演で、映画にもなった。

(さらにそののち、三国連太郎主演で再度映画化)

著者は、中山正男。中山は、道東の佐呂間町の出身であり、
イセとは親交があった。

その中山が、乗馬姿であぐらをかくイセを見て、「あぐらば
っちゃん」とあだ名をつけた。

そしてそのイセの話を、東京の大宅壮一に話し、大宅が、週
刊朝日の、徳川夢声との対談「問答有用」で、「網走に、すご
いばあちゃんがいる」と話した。

これが、イセの名前が、全国的に知られるきっかけになった
という。

1967年には、中山の義妹の金子きみが、イセの半生記を
小説化した『雪と風と青い天』を出版した。

もっとも、金子自身も書いているように、かなりフィクション
的要素が加えられてはいたが。

しかし、これが、TBSの目に止まり、1968年には、渚まゆ
み主演のテレビドラマ「流氷の女」として、全国放送される。

そして、このドラマに感銘を受けた、網走在住の作詞家・纓
片實(おがたみのる)と、作曲家・加山ひろしにより、同名
の曲『流氷の女』が、1968年にリリースされた。

イセは、生まれて初めて、自分の曲ができたことに感激し、
纓片との交流は、のちのちまでつづいた。

また、イセ自身も、その後、NHKの『こんにちは奥さん』な
ど、複数回、テレビ出演する機会を得、結果的に、ますます知
名度をあげる。

1969年には、イセと親交のあった、山形の佐々木悦によ
る「あぐらばあちゃん」(山形新聞連載)が、出版された。

ここには、おもに、17歳で北海道にわたるまでが描かれて
いる。

1987年には、北海道放送のラジオ番組『涙流す間もなし
〜流氷の町に生きる女〜』で、イセの半生記が紹介された。

この番組は、同年の日本民間放送連盟賞の教養部門で最優
秀番組に選ばれた。

そして、この物語「零(zero)に立つ」を書くにあたっての主要
資料となる、山谷一郎著『岬を駈ける女』が出版されたのが、
1992年。

ただし、山谷は、1986年に、ほぼ同内容の『オホーツク
凄春記』を出版していて、『岬を駈ける女』は、この改訂版と
見られる。

この本は、イセが選挙に初当選するところで、終わっている。

1990年、この本を原作として、北海道演劇集団による舞
台『岬を駈ける女』(澁谷健一脚本・山根義昭演出)が、札幌
と網走で上演された。

網走公演では、1500人の会場が超満席となった。イセも
娘の愛子とともに観劇した。

舞台は、一部、原作とはまたちがった脚色がほどこされてい
たが、イセは、それはそれとして楽しんだようだ。

そう。イセは、歌も得意だったが、お芝居も好きだった。

14歳のとき、松井須磨子を頼って、女優になるため、東京
の帝国劇場までたずねていったことを、いつまでもなつかし
そうに語っていた。

実は、戦時中には、愛馬婦人会で、お芝居をつくって出演も
していた。

ただし、内容は戦意高揚劇であったから、戦後はおおっぴら
には語れない話になってしまったが。

1993年、北海道演劇集団が、『岬を駈ける女』を再演する
ことを決定した。

しかも今度は、札幌、網走に加え、旭川、そして、イセの郷
里である天童でも公演するという。

天童市は、これを、市制35周年記念事業とすることにした。

イセが里子時代を過ごした天童市荒谷地区には、当時、地
域の婦人たちでつくる「若妻会」があった。

その若妻会に、北海道演劇集団から連絡が入った。

「第2幕、網走空襲のあと、米軍が上陸してくるかもしれな
い緊迫した状況のなか、イセが『わたすがおとりになる!』
と、みんなを説得する場面で、ぜひ、そこに集まったひとび
と役として、出演してほしい」

びっくりはしたが、このころには、天童市でも、イセのこと
はよく知られ、みな、イセに好意をもっていた。

「荒谷に名指しがあったからには、ぜひやりましょう」という
ことになって、7名が、名乗りをあげた。

原作を読み、発声練習などを重ね、みなでイセへの想いを
深めながら、稽古をすすめる。

やがて、北海道メンバーがやってきての合同稽古、前日のリ
ハーサルを経て、本番。満場の拍手がいつまでもつづいた。

出演者のひとり、佐藤恵子は述懐する。

「イセさんのような大きな視野で、大きな心で生きていけた
らすばらしい。弱きを知る強い人。出身地元の誇りです」


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「山彦の滝」
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2016年12月21日

物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(3)/通巻149話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


それ以来、イセは、たびたび、天童市をおとずれるようにな
った。

知り合いもふえた。親しく行き来する間柄もできた。

菩提寺である三宝寺には、たいてい寄って、住職と親しく語
らった。

親友のみよしは、実家の近くの「マルゼン」商店に嫁いでい
た。だから、イセは、天童にいくたびに、必ず、「マルゼン」
をたずねて、みよしと話しこんだ。

地元の荒谷では、イセがくるたびに、「イセさんきったど」
「マルゼンさいったど」…そんな会話がかわされたという。

91歳になった1992年(平成4年)の4月、イセは、選ばれ
て、網走市名誉市民になった。

当時の安藤哲郎市長は、このように推薦理由を述べている。

「婦人の地位向上、青少年の育成、社会福祉の充実、人権
問題、地方自治の発展など、北海道を代表する婦人活動家
として、幅広く活動。

豊富な経験と人間味あふれる人柄は、子どもたちや青年婦
人、お年寄りなど多くの市民に親しまれ、敬愛されてきました」

祝賀会には、450名もの市民がつどったという。

また、郷里の天童市でも、実行委員会が発足して、11月に
祝賀会がひらかれ、280名の市民がつどった。

イセは、 故郷への感謝の気持ちとともに、約15分にわた
って、北海道での活動について、スピーチをした。

天童のひとびとは、92歳のイセの、その年齢に似合わぬ、
はつらつとした風情と、パワフルな語りに、どぎもを抜か
れたという。

そしてこの祝賀会が縁になって、天童市に伝承される山寺
踊りが、海を越えて、網走で披露されることになった。

博物館「網走監獄」保存財団の理事長をつとめていたイセが、
「(翌年の)開館10周年記念の席で、ぜひ踊ってほしい」
と依頼したのである。

また、この年、イセは、出身校である荒谷小学校と、誕生
の地にある干布小学校に、教育資金を寄贈した。

荒谷小学校では、これで図書を購入し、「中川文庫」と名前
をつけて活用した。

干布小学校では、和太鼓2台を購入した。

イセの、小学校への寄付は、その後もたびたびおこなわれ、
干布小学校でも、のちに「中川文庫」を創設している。

寄付は、天童第一中学校などにもおこなわれたという。

もともと、子ども好きなイセのこと、子どもたちの成長を助
けになることに、よろこびをおぼえたのだろう。

1998年(平成10年)、市制施行40周年記念として、
天童市は、イセに特別功労表彰をおこなっている。

それを記念し、干布小学校で、「受賞お祝いの会」が催さ
れた。

イセが行くと、子どもたちが鼓笛隊の演奏でむかえた。

イセはよろこび、あいさつのなかで、子どもたちに向けて
熱をこめて語った。

「人間は、やればなんでもできるんだよ」

「一生懸命はたらいて、からだを動かして、丈夫で、かし
こいひとになるんだよ」

「みんなのために、社会のためになることをするんだよ」

このとき、イセ、97歳。

イセの天童市訪問は、これが最後になった。

しかし、その後も、子どもたちとの手紙のやりとりは、と
ぎれず、つづけられたのである。

2002年(平成14年)7月には、「天童が生んだ女性展」
が、天童市で開催された。

そのなかには、もちろん、イセの名前もふくまれていた。

この展示会に、招待を受けた網走市大場脩市長(当時)
が、天童市を訪問し、ここから、市レベルでの交流がはじ
まる。

そして、2004年(平成16年)、網走市と天童市は、観
光物産交流都市の協定を結ぶのである。


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「サロマ湖 冬 」
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2016年12月20日

物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(2)/通巻148話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


ときははるかにさかのぼって、1967年(昭和42年)。

市議会議員6期目の当選を果たした年のことである。

イセは、生まれ故郷の天童市をたずねた。

1918年に17歳で北海道にわたって以来、実に、49年
ぶりの訪問であった。

来訪のきっかけは、天童市市議会議員、渋谷亨雄の強い
すすめがあった。

このころ、イセの名前は、全国的に知られるようになって
いた。

娼妓から市議会議員という経歴や、その生い立ちのすさま
じさを、マスコミがとりあげはじめたからである。

記録に残るところでは、1959年7月、『婦人倶楽部』(講談
社)が、「私は網走のばばちゃん」という、イセの記事を掲載
した。

その7年後の1966年6月には、『女性自身』(光文社)が、
「女優志願・赤線・女馬喰 そして…」として。

同年7月には、『週刊文春』(文藝春秋)が、「娼婦から市議
へ・網走の女傑一代」(村島健一)を。

また、9月には、『主婦と生活』(主婦と生活社)が、「売春婦
から藍綬褒章への女のいくさ」として。

まさに、「イセ旋風」ともいうべきいきおいで、イセの名前は、
全国に広まっていったのである。

渋谷も、そのような記事で、イセを知ったのだろう。

しかも、渋谷は、天童市にある三宝寺の住職でもあったの
だが、この三宝寺は、イセの実家である今野家の菩提寺で
あったのだ。

縁を感じた渋谷は、イセに連絡をとり、ぜひ、故郷・天童を
たずねてくれるよう、強くすすめたのだ。

1932年(昭和7年)、愛子を引き取ったときには、みずか
らは天童まで迎えに行ってやることができなかった。

自分を、どん底に突き落とした八重松への憎悪が、まだ強
くこころにうずまいていたからである。

しかしそれからさらに30年。

夫・卓治は5年前に他界し、愛子の子ども・尋仁もその翌年
に世を去っている。

愛子は、そのときの主治医と再婚し、いまは美容師としてが
んばっている。

何もかもが過ぎ去った。水に流せるとは思わないが、故郷の
土を踏むことを、ためらう理由はない。

何よりも、かつて小学校のころの親友・村方みよし(旧姓・渡
辺)とは、しばらく前から、交流を再開しており、手紙や電話
で、「会いに来てほしい」と言われていた。

いまがタイミングなのだ、と思った。

半世紀ぶりにおとずれた天童市は、子どものころとは比べ
ものにならないくらい、おおきな街に変貌していた。

イセは、里子として育った佐藤家をたずねた。

あの、17歳の冬に、山形駅で別れるとき、麦のおにぎりを
もって見送ってくれた、里親のコウ。

「おれが生きているうちに、きっと帰ってきてくれよ」

あの約束は、果たすことができなかった。

案内されたコウの墓に花をたむけ、イセは長いこと、祈りを
ささげた。

そして、なつかしいみよしとの再会。

お互いに年をとってはいたが、一瞬にして、ときが埋まっ
てしまうような想いで、二人は語り合った。

そのあと、一緒に通った荒谷小学校をたずねて、職員のひ
とたちと、記念写真におさまったのだった。

もちろん、議員として、市役所を表敬訪問することも忘れ
ない。

ここから、天童市とイセの交流ははじまるのである。


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「紋別市街(スカイタワーより)」 
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2016年12月19日

物語版「零(zero)に立つ」第20章 一世紀を生きて(1)/通巻147話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
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博物館「網走監獄」での、イセの日々は、まだまだつづくけれ
ども、ここでいったん、そのほかの活動にも目を向けたい。

イセにとって、弱い立場のひとたちを守ることは、もはや使
命ともいうべきものになっていた。

子どもたち、女性、そして、高齢者である。

おそらく、からだがふたつ、三つあれば、心身にハンデをも
つひとたちをもカバーしたかったろう。

が、さすがに無理で、それはできうるかぎりの、可能な範囲
にとどまった。

さて。その高齢者の話である。

実は、1981年に、社会福祉法人網走愛育会を設立したのは、
もともと、高齢者のための施設をつくりたいという想いがあ
ったからだった。

しかし、網走にはすでに1軒、老健施設があったことなど、諸
事情があり、まずは保育園から、という流れになったようだ。

そして、保育園の運営も順調に運び、問題となっていた諸案
件も解決してきたところで、いよいよ、高齢者施設を…とい
う運びになった。

イセは、想いのたけを、熱く語った。

「年寄りのための施設が、ただ死ぬのを待っているような場
所であっちゃいけないんだ。

年をとったからといって、仕事ができない、何もできないって
いうことはないんだよ。

何もかも、ひとまかせにしてしまうと、何もできなくなっていく。
やらないから、ますますできなくなっていくだけ。

そうして、体力がおとろえたら、気持ちもおとろえる。それじ
ゃ悪循環だ。

ひとのために何かできるってことは、生きるための希望、生
きるちからになるんだよ。

からだを動かして、仕事をしてこそ、元気で長生きができる。

そのためのリハビリができる施設、年寄りが希望をもてる施
設を、わたすはつくりたいんだよ!」

そんなイセの願いを入れて構想した施設は、老人保健施設
であり、ケアハウスであり、通所リハビリ、通所介護、居宅介
護支援、訪問介護をもふくむことになる。

見積もってみると、建設にかかる総予算は、約16億円にも
なった。

イセの想いに賛同して、設立にかかわったものたちも、その
額にはさすがに青ざめた。

「ばっちゃん、いくらなんでも、これは無理だ。規模を縮小
したほうがいいんじゃないですか」

「大体、どうやったら、そんな大金を、ひねり出すことがで
きるんですか?」

そんなふうに詰め寄るものもいた。

イセは、それらのことばをじっとだまって聴いていたが、ち
ょっととぼけたような表情を見せて、こう言った。

「そうだねえ。わたすにもどうしていいかわからないが、な
ぜだか、わたすがかかわると、神風が吹くんだよ」

その返事に、みなは絶句し、そして、なぜか妙に納得した。

結局、計画は変更せず、イセの望みを入れたまま進められ、
なんとか融資してくれるところも決まって、建設着工となる。

施設の名前は、発起人であるイセの名前をとって、「いせの里」
と名付けられた。完成と同時に、イセは理事長に就任した。

1997年。96歳のときである。

キャプチャ.JPG
※「いせの里」ホームページよりお借りしました。


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「上湧別チューリップ公園の風車」 
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2016年12月18日

北海道の「裏歴史」

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


この11月に、博物館「網走監獄」を訪問した際、売店にて
2冊の本を買い求めました。

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「新・網走刑務所」と、「脱獄魔 白鳥由栄」。

ともに、語り劇「零(zero)に立つ」の元本となった「岬を駈け
る女」の著者、山谷一郎さんが書かれた作品です。

実は、網走監獄に取材させていただくなかで、私自身、この
網走刑務所、とりわけ、北海道開拓とからんでの歴史に、興
味をもつようになったのです。

私は、北海道の生まれです。

祖父が、職業軍人として、山形から旭川にわたり、その後、
斜里(しゃり)に移住。そこで父が産まれました。

ですから、私は、「北海道移民3世」です。

ご先祖さまの山形は、ある意味、異国であり、北海道は故郷
ではありますが、その歴史は何も知りません。

山谷さんの「新・網走刑務所」は、そんな北海道の、「裏歴史」
というべきものを、如実にあらわしてくれています。

また、私自身の体験として、高校時代に、「地域の歴史を学
ぶ会」という会があって、参加していた時期があります。

その当時は、「常紋トンネル」の歴史を学んでいました。

★常紋トンネル★ 北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線
にある単線非電化の鉄道トンネルである。生田原駅と西留
辺蘂駅の間にあり、常呂郡(旧・留辺蘂町、現・北見市)と紋
別郡(旧・生田原町、現・遠軽町)を結ぶ常紋峠下を通る。

ウィキペディアより)

この難工事にあたって、おおくの労働者が亡くなり、その遺
体が、そのままその場に埋められたという証言がありました。

実際、その後、発掘作業をしたところ、証言どおり、たくさん
の人骨が発見され、1980年(昭和55年)に、追悼碑が建
てられたとのことです。

網走から北見峠を抜ける中央道路を、受刑者のひとたちが
つくる作業をおこなったという話が、この常紋トンネルの話と
重なるのです。

私たちの歴史は、どれだけ、そうしたひとびとの犠牲のうえ
に成り立っているのだろうかと。

そうしたことを強いた当時の為政者たちのありかたを、問い
直したい気持ちと、では、現代は、そうではない時代になっ
ているのだろうか?

もしかしたら、かたちを変えて、不遇な環境におかれたひと
びとを、さらにしいたげるような状況が、ありはしまいか?

そんな想いが湧いてきてしかたがないのです。

そんなことを、取材のあいまに感じてしまったのです。

今日のエッセイは、イセさんとは直接関係のない話になって
しまったかもしれませんが、きっと、イセさんが生きていら
したら、本気でかかわってくださる話題ではないのかなあと。

そんなふうに想えてしかたがないのです。


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「能取岬のサンゴ草」 
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2016年12月17日

これまでのあらすじ/語ることで、生かされていく

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。


これまでのあらすじ

★第1章★ いせよ誕生
明治34年(1901年)、今野安蔵・サダの娘、いせよ(のちの中川イセ)
誕生。サダは、産後の肥立ちが悪く、死を予感。ヤクザものの安蔵にあとを
託すことを怖れ、佐藤コウに里親を頼むと、その年のうちに亡くなった。
    

★第2章★ 差別と貧しさのなかで
イセは佐藤家の里子になった。佐藤家は貧しく、イセはまわりからいじめられ
たり、差別を受けたりするが、コウの愛情、親友・渡辺みよしの存在、自身の
負けず嫌いの性格で、それらをはね返して成長していく。
     10 11 12 13 14 

★第3章★ はじめての家出
10歳で実家に連れもどされイセは、学校にも行けず、仕事に明け暮れる。
11歳の夏、モヨとの口論から、初めての家出。山形の船山先生夫妻の
家で住み込みの女中をし、かわいがられるも、翌春、船山先生に満州へ
の転勤辞令が出て、再び実家にもどることになる。
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25

★第4章★ イセの初恋
またまた家出し、米沢の寮づきの織物工場ではたらく。仲間もできて楽し
い日々。そんな中、隣に住む名家の次男坊・戸田茂雄との初恋も体験。し
かし、安蔵にイセの居場所を知られたことで、イセは実家に帰ることに…。
26 27 28 29 30 31 

★第5章★ 女優志願
実家にいる間、地域巡演で山形にきた松井須磨子(実はにせもの)にあこが
れ、家出して上京する。しかし、たずねた帝国劇場に須磨子はおらず、い
くつかの仕事を転々とするが、結局あきらめて山形にもどることになる。
32 33 34 35 36 37 

★第6章★ 運命の歯車
人絹工場、機織り工場などではたらくうち、かつて実家に出入りしていた
芸人・八重松と再会。乱暴されて子どもを身ごもり、17歳で娘・愛子を
出産。その後、北海道の遊廓への話をもちかけられ、悩んだ末、イセは3
年で500円の借金をし、そのお金で愛子を里子に出すことにする。
38 39 40 41 42 43 44 

★第7章★ 網走まで
大正7年暮れ、イセは北海道に旅立った。ところが途中で虫垂炎から腹
膜炎をおこし、到着した旭川で即入院。借金が倍の1000円となり、
網走の遊廓に売られることに。駅前の島田食堂の夫婦にかわいがられる。
45 46 47 48 49 

★第8章★「お職」になる!
自転車を借りて町内を乗り回したり、柔道場に通ったりしたイセだが、娼
妓になると今度は、囲碁や将棋をおぼえ、お客を楽しませる工夫をした。
また酒に強く、何度も杯を重ね、そこから収益をあげることも考えた。
51 52 53 54 55 56 57 58 59

★第9章★「小梅」の死
イセは、娼妓に乱暴した客を一本背負いで投げ飛ばすなどで、娼妓たちの
信頼を勝ち得ていった。しかし一方で、妹ぶんの「小梅」が、失恋を苦に
自死。小梅の死をきっかけに、娼妓みんなでちからをあわせることを誓う。
60 61 62 63 64 65 66 

★第10章★中川卓治という男
イセは、柔道場で出会った中川卓治と親しくなり、急速に気持ちが近づい
ていく。卓治の妹・タマは、2人の交際をはげしく反対するが、卓治はイ
セに求婚し、イセは身請けされて、ついに遊廓を出る。
67 68 69 70 71 

★第11章★樺太にて
中川家よりもイセを選んだ卓治。2人は樺太にわたり、仕事を見つけて
はたらき、暮らしを立てた。卓治は、酒がもとでけんかをして大けがを
したりもするが、ついに茂市の許しが出て、網走に帰れることになる。
72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 

★第12章★岬の日々
網走の能取岬にある中川牧場の管理をまかされたイセたち。その雄大な
景色にイセは魅了される。乗馬も覚え、少しずつ馬との暮らしに親しみ、冬
になれば、流氷の美しさに見とれる。平和な日々がすぎていく。
85 86 87 88 89 90 

★第13章★茂市の死
卓治の父・茂市が、娘婿・東条貞の選挙資金調達で14万円の借金を残
して死去。イセと卓治はその借金を引き受ける。拓銀に50年割賦(ロー
ン)を頼むため、イセは札幌本店に出向き、交渉を成立させる。
91 92 93 94 95 96 97 98 99

★第14章★戦況のなかで
借金返済のため、卓治とイセは、馬喰となった。また、念願の愛子をひき
とり、やがて、養子の清と結婚させる。しかし、清は、海軍に招集され、戦死。
100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 
111 112

★第15章★米軍上陸?!
1945年7月、網走空襲。米軍が上陸するかも…という緊迫感のなか、イセ
は自分がおとりになるから、みんなは逃げろと宣言し、町長公宅に泊まり込む。
しかし米軍は上陸せず、8月15日、終戦をむかえる。
113 114 115 116 117

★第16章★初の女性市議会議員誕生
1947年4月、網走が市政変更になったのを受け、初の市議会議員選挙。女
性参政権ができて最初の選挙となり、イセはまわりにおされて立候補。30議
席に83人の立候補だったが、下から3番目で当選。最初の街頭演説の日、
イセは、踏み切りの前に立ち、遊廓時代に亡くなった小梅に演説を聴かせる。
118 119 120 121 122

★第17章★イセ、奔走す!
議員1期めから2期目へ。家の前でのラジオ体操。保育園建設。そして、日
本鋼管とかけあっての、網走での水道敷設。イセは精力的に動きつづけた。
なかでも、一番力を注いだのは、人権擁護の活動だった。遊廓まがいの商売
をしている店に乗り込み、商売替えさせたり、法務局に通告したりした。
123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133

★第18章★塀の向こう
人権擁護委員のイセのもとに、網走刑務所から、受刑者に話をしてほしいと
依頼がきた。イセは遊廓時代のことを思い出していた。囚人のつくった「豆
草鞋」や、脱走して看守に斬殺された囚人のことなど。
134 135 136 137 138

★第19章★駆け抜ける日々(2016.12.16ぶんまで)
自民党道連の婦人部長に抜擢されたイセは、中央の政治家とのつながりもつ
くる。そんななか、夫・卓治と、孫の尋仁が次々に亡くなる。74歳で議員
引退後も、保育園創設、博物館「網走監獄」の理事長と活躍をつづける。
139 140 141 142 143 144 145 146


いつもご愛読ありがとうございます

語ることで、生かされていく

個人的に、今度、あるお芝居にかかわることになって、資料
調べをはじめたところです。

そのお芝居の主人公も、イセさんと同様、実在の人物なので
すが、このひとの人生もまたすごい。

世のなかには、本当に、波瀾万丈というか、数奇なというか、
よくぞ生ききったと想える人生を送るひとがいるものです。

けれども、どんなひとも、亡くなってしまえば、忘れられて
いきます。

そのひとのすばらしい仕事も、揺れ動いたこころも、濃密な
人間関係も、ひとにあたえた感動も…。

最近、そのことが、つくづくもったいないなあと思うのです。

そこから学ぶものは、たくさんあるはずなのに。継承してい
くべきことも、いっぱいあるはずなのに。

だからこそ、アート(芸術)の仕事には、意味があるのでは
ないかなあと。

絵であれ、書であれ、歌であれ、朗読であれ、ダンスであれ、
演劇であれ、映像であれ、その他さまざまな表現であれ、表
現することによって、次の世代につないでいくことができます。

とくに、演劇や映像の世界は、より具体的に、そのひとその
ものを表現しますから、ときを経ても、そのひとのひととな
りを伝えていくことが可能です。

(もちろん、その他の表現においても、そのひとのパッショ
ンやエネルギーを伝えることができます)

そのとき、そのひとは、この世で、もう一度生きるのですね。

語ることで、表現することで、生かされていく。そして、それを
受け取るひとたちもまた、その表現を人生に反映させること
で、生かされていく。

やっぱり、表現することは、本当に大切なことだと思うのです。

今年も、あと半月で終わりますが、来年は、もっともっとこの
活動をひろげていきたい。伝えるべきものを伝えていきたいと、
思わずにはいられません。

あと半月…と書きましたが、見かたを変えれば、まだ半月! 
やれることはまだまだありますね。

物語版「零(zero)に立つ」の連載は、年内で終了の予定です
が、そのあとも、取材は継続していき、何らかのかたちで、
残していきたいと想っています。

ぜひ、これからも応援してくださいませ。


12月3日、寒河江市更生保護女性会主催の「健やかな青
少年の育成を考える集い」のなかで、講演会『あきらめない』
が、山形新聞に掲載されました。

山形新聞.jpg

きたる12月20日には、山形市倫理法人会モーニング
セミナーで、講話「中川イセ精神から学ぶ」が開催されます。
(一般参加可。聴講無料)

1220ちらし_n.jpg

このほかにも、来年の公演の打診も入っているようです。(嬉)

講話、そして、語り劇等々、夢実子さんの活動に、興味をお
もちいただけたかたは、「オフィス夢実子」までお問い合わせ
くださいね。→ http://yumiko333.com/mail.html


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「北浜駅」 
写真提供/北海道無料写真素材集 DO PHOTOさん
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2016年12月16日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(8)/通巻146話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


電話は、神戸の旅行会社からだった。

神戸からも、毎年、修学旅行生がくるようになっていたのだ。

しかし、その年は、1月17日、忘れもしない、阪神淡路大震
災のあった年である。

「今年は(修学旅行は)無理でしょうね」と、職員同士で話し
ていた矢先であった。

けれども、電話の向こうの担当者は、こう言った。

「今年も行きます。もちろん、お金もきちんと出します」

そして、「ただ…」と、ことばをつないだ。

「もしできたら、何か記念になるものを添えていただけると、
ありがたいのですが…。女子校で、150名ほどになります」

神戸の子どもたちを、少しでも勇気づけることができるなら…。

職員たちは話し合い、網走監獄に来た記念になる写真を、人
数分、プレゼントすることを決めた。

その写真とは、網走湖のうえに、ハートが描かれた写真だった。

周囲39キロもある網走湖だが、これが冬になると完全結氷
してしまう。

ひとびとは、スノーモービルで湖上を駆けたり、穴を開けて
ワカサギ釣りを楽しんだりするのだ。

当時、その網走湖で、「ビッグハート」というイベントがもよおさ
れた。

火のついたたいまつを並べて、近くのホテルの階上から見ると、
ハートのかたちに見えるようにするイベントだ。

震災のあったこの年、そこにはさらに、「神戸ファイト」という文
字が添えられたのだ。

そのようすを、さらに網走監獄の高台から撮った。

網走監獄のシンボルともいえる「五翼放射状平屋舎房」が、神
戸ファイトのハートとともに、写真におさまった。

これこそ、ほかにない記念になるだろう。

職員たちは、写真屋に150人ぶんの焼き増しを依頼し、その
日にそなえた。

その日は、歓迎行事がおこなわれることになっていたのだが、
突然、イセが、「わたすにも話をさせてほしい」と言い出した。

このとき、イセ、94歳。

職員たちは、一瞬、当惑した。修学旅行の途中であるから、
生徒たちにあたえられた時間はかぎられている。

そんななかで、イセは何を話すつもりなのだろう。

イセは、ゆっくりと壇上にあがった。

ちなみに、このころ、イセは、杖をつくようになっていたが、こう
した場で、杖をつく姿を見せることをきらった。

このときも、杖なしで、生徒たちの前に立ち、あとで職員にマ
ッサージを頼んでいたという。

負けず嫌いは、この年になっても変わらないようだ。

イセは、いつものようにマイクは使わず、朗々とした声で語った。

「みなさん、今日はよく来てくださいました。

突然、こんなおばあさんが出てきて、びっくりしたと思います。
なぜ、わたすがここにいると思いますか?

わたすは、実は地獄を見た体験があります。

いまは法律で禁止されて、ないけれども、女として絶対に行っ
てはいけないところに行きました。

そこで、大変苦しい想いをしました。

でもね。あなたたちが体験した苦しみには負けます。

わたすは、たくさんのひとに助けられて、いまはこの、博物館
の理事長をやっています。

『ばっちゃん』とか『ばあちゃん』と呼ばれて、大切にしても
らっています。

だから、あなたたちも大丈夫です。

ここには、お父さん、お母さんを、亡くしたひともいるかもし
れません。

だけれども、嘆くよりも、こうやってあなたがたを、この世に
生み出してくれた、お父さんお母さんに、感謝してください。

その気持ちをもって、一所懸命生きてください」

イセの話を聴きながら、生徒たちが次々と泣きだした。

そうして、イセが話し終わると、女の子たちは、口々に、「ば
っちゃん、ばあちゃん」と、イセを取り囲んだ。

生徒たちが帰ったあと、イセは、職員に伝えた。

「神戸の子どもがくるときは、必ず、私を呼びなさい」

そして、そのたびに生徒たちを歓待し、はげましたのだった。

それは、1年半近くつづけられたろうか。

最後の学校は、定時制の学校だった。

その学校は、いつも2月に修学旅行をおこなっていた。

ところが、1995年は、震災直後であり、修学旅行そのもの
をおこなうことができなかった。

そのため、修学旅行を体験することができずに、卒業していく
生徒たちがいる。

その学校は、なんと、そのとき旅行に行くことができずに卒業
した生徒たちをも引き連れて、網走監獄にあらわれたのだった。

そんなさまざまなエピソードもふくめながら、約1000名の生徒
たちを受け入れ、神戸の応援は、ひと区切りをつけたのだという。


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「釧網本線 北浜駅付近」 
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2016年12月15日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(7)/通巻145話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


理事長になったイセは考えた。

負債を減らすためには、増収するしかない。

増収するためには、なんといっても、入場者数をふやす必要
がある。

とはいえ、負債をかかえる身では、広告等にたよることはむ
ずかしい。

イセが考えたのは、旅行ツアーに博物館見学を盛り込ませる
ことだった。

そこで、みずから、館職員とともに、旅行会社を駆け回り、
博物館「網走監獄」の価値と魅力を語り、ツアーのコースに
組み込むことを提案した。

実際、これだけの施設がまとまって現存する博物館は、なか
なか例を見ない。

とくに、1985年(昭和60年)に公開開始となった、「五翼
放射状平屋舎房」は、独特の形状をもち、瞠目に値する。

5.JPG
博物館「網走監獄」のサイトより

5つの舎房が、中央見張り所からすべて見渡せる。

さらに、独居房は「くの字格子」で作られており、廊下がわ
からもなかが見えず、なかからも外が見えにくい構造になっ
ている。

さすが、懲役12年以上のものだけを受け入れた刑務所だけ
ある。

しかも、この舎房は、刑務所の施設としては日本国内最古で
あり、木造の行刑建築としては世界最古となっているのだ。

もちろん、そこで人生の長きを過ごした受刑者たちの、さま
ざまなエピソードを語ることも忘れない。

そんなアピールが功を奏し、網走監獄を、観光ツアーに組み
入れる旅行会社がふえてきた。

それにつれて、入場者数も、ぐんぐん伸びた。

とくに、修学旅行のコースに組み入れてもらうことができて
からは、その伸びは確実なものになった。

開館10周年を迎える1993年(平成5年)には、同年の入場
者は60万人、開館以来の総入場者数は300万人を超える
までになったのだ。

もちろん、イセは、宣伝のみに奔走したのではない。

施設の充実にもちからを入れた。

当初、旧刑務所の施設の移築復原を中心としていたが、移設
がむずかしい施設もあり、それらは、再現構築というかたち
をとった。

負債を返す一方で、収益を、博物館の内容の充実にあててい
くことで、2度、3度おとずれる魅力のある施設づくりを目ざ
したのである。

ところで、復元施設に関しては、こんなエピソードがある。

博物館「網走監獄」は、天都山(てんとざん)の中腹に建って
いるため、傾斜地にある。

施設によっては、さらに階段があって、高齢者や身体にハンデ
をもつものは、のぼるのが大変である。

あるとき、イセは、職員にこう言った。

「この段差の一部を取っ払って、スロープにしよう」

職員は仰天した。

「理事長、これは、歴史的建造物ですよ。それを勝手にこわ
していいんですか?」

イセは、平然としたものだった。

「お客さんは、こんな傾斜地にある博物館に、わざわざきて
くれるんだ。それをさらに大変な想いをさせるのかい」

その結果、階段の一部がスロープに改築された。まだ、バリ
アフリーということばが、一般化する前の話である。

是々非々はあろうが、イセらしい判断である。

また、イセは、地元の法人、私立網走学園網走女子高等学校
の理事もつとめていた。

(のちに共学となり、2008年には、網走向陽高等学校と統合
されて、北海道網走桂陽高等学校として引き継がれる)

その関係もあるのだろう。職員のうち、一定数は、必ず、高
卒のものを採用していた。

当時は、すべての生徒が大学に進学するわけではない。ひと
りでも、地元に就職させてやりたいという配慮であったろう。

また、大卒ではなく、高卒をというところも、自身が、尋常
小学校4年までしか出ていないことへの思いもあったのだろう。

さて。博物館「網走監獄」の名前が、全国的にも有名になっ
てきた、1995年。一本の電話が、博物館に入った。


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「小清水リリーパーク」 
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2016年12月14日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(6)/通巻144話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

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1988年。イセ、87歳のときである。

「監獄の理事長になってもらえませんか?」と依頼を受けた。

「監獄」とは、博物館「網走監獄」のことであり、理事長とは、
それを運営する保存財団の理事長のことである。

博物館「網走監獄」は、網走観光のメッカのひとつでもある
ので、ご存じのかたも多いだろう。

網走刑務所の旧建造物を、そっくりそのまま移設し、保存公
開している、野外博物館である。

「1973年(昭和48年)に、網走刑務所の改築計画が公表
され、貴重な建築物が失われることを憂慮した網走新聞社
(現在は廃刊)社主の佐藤久が、刑務所建築物の移築保存
を提唱した。
これに網走市、北海道、法務省などの関係機関も協力し、
財団法人を設立するに至った」
(ウィキペディアより)

この提唱者である佐藤と、イセは旧知の友人であり、イセも、
初代理事のひとりに、名をつらねてはいた。

網走監獄は、1983年(昭和58年)に開館し、少しずつ知
名度もあがってはいたが、設立当初の負債はまだまだ返し
切れていなかった。

ところが、そんななか、佐藤が急逝してしまう。

当然、財団は、あたらしい理事長を選出しなければならない。

しかし、理事に名をつらねていたものたちは、たいていは、
会社の社長など、自分の事業を背負うものばかりである。

とても、9億もの負債を背負うわけにはいかない。

白羽の矢が立ったのが、イセだったのである。

「ばっちゃん。これを引き受けてもらえるのは、あなたしか
いない」

皆の懇願に、イセは、目を閉じてじっと考えた。

友人である佐藤が、私財をなげうってまで、この博物館の
建設に想いをかけていたことを知っている。

そして、何より、人権委員として、網走刑務所で講話をおこ
なったとき、刑務所長に聴かされた話…。

「1890年(明治23年)、中央道路の開削工事を行うため、
釧路集治監から網走に囚徒を大移動させて開設。
発足時の囚人数は1392人でその3割以上が無期懲役で
あり、ほかの囚人も刑期12年以上の重罪人であった。
中央道路工事は、1891年(明治24年)のわずか1年間で、
網走から北見峠まで約160kmが開通しており、過酷な労働
条件による怪我や栄養失調が続出し、死者は200人以上と
なった」
(ウィキペディアより)

なぜ、そんなにも急いで、中央道路をつくる必要があったのか。

当時、南下政策をとっていたロシアの脅威に対抗するため、
大至急、北海道の開拓をすすめる必要があったのである。

そのため、受刑者たちは、網走に移動させられた。

それまでちいさな寒村だった網走の人口が、激増したのは、
この刑務所移転のためである。

いわば、網走は、刑務所によって発展した町ともいえるの
である。

その受刑者たちが、原野を切り拓いて、北海道の道路をつ
くった。しかも、わずか1年という期限で。

その過酷な労働で、ときに、1日に8名もの死者が出たこと
もあったという。

「もともとが、罪を犯した人間なのだから、死んだとしても、
そう問題にはなるまい」

そんな、為政者たちの人命軽視が透けて見える。

実際、当初こそ、亡くなったものは棺に入れられ、網走ま
でもどされたが、距離が離れるにつれて、そんな余裕もな
くなる。

ましてや、冬を前に、工事は夜を徹しておこなわれた。

受刑者たちは、逃亡をふせぐため、足に鎖をつながれた
まま、はたらいていた。

力尽き、たおれていのちを落とせば、そのまま、道の脇に
埋められた。

そして、いのちを落としたのは受刑者だけではなかった。
ともに工事の監督にあたった、看守たちもであった。

昭和になって、埋められたひとびとの発掘作業がおこなわ
れるのだが、鎖につながれたままの白骨が掘り出されると、
ひとびとの涙を誘ったという。

この、受刑者を使った労働は、実は国会でも問題になり、
「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と追及さ
れて、明治27年、廃止される。

しかし実際には、炭鉱労働など、いわゆる「タコ部屋」と
呼ばれるような、過酷な労働形態は、長くあとを断たなか
ったのである。

イセは、じっと、この網走監獄の歴史に想いをはせた。

この歴史を、後世に残すことは、人権擁護に生涯をささげ
てきた自分の使命といえるのではないか。

こころは決まった。イセは目を開け、きっぱりと言った。

「引き受けましょう」

そのことばに、息をのんで見守っていた財団のものたちは、
よろこび、ほっと安堵の顔を見せた。

そんな彼らを前に、イセは、にやっと笑ってこう言った。

「まあ、仮に借金がこげついたとしても、銀行だって、90に
もなろうというばあさんから、身ぐるみはぐわけにはいかん
だろう」


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2016年12月13日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(5)/通巻143話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
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議員をやめると同時に、イセは、そのほかの公職からも次々
としりぞいた。

網走市物価監査委員、家裁家事調停委員、母子相談員、
市社会教育委員、網走防犯協会理事、市法律相談委員…
などなど。

イセは、これらの仕事を「名誉職」とはとらえず、ていねい
に対応していたから、その多忙ぶりは、並みのものではなか
ったのである。

議員をしりぞいても、その多忙さには、変わりはなかった。

むしろ、議員をやめたことにより、あちこちから、講演の声
がいっせいにかかった。

また、家にもひっきりなしにひとがたずねてきた。政治家か
ら庶民にいたるまで、イセはいつも相談相手となっていたの
である。

そして、イセ自身も、議員はしりぞいたとはいえ、やりたい
ことはまだまだあった。

ひとつは、はたらく女性の支援である。

当時の網走市内には4軒の保育園があったが、どこも、17
時までには子どもを引き取る規則になっていた。

しかし、たいていの職場は、勤務時間が17時以降まである
ため、子どもを迎えに行くためには、早退をしなければなら
ない。

これでは、女性の地位向上も望むことができない。

「ばっちゃん、なんとか助けてください」

そんな相談を受けて、イセは、みずから、私立の保育園を設
立することを決意する。

1981年、社会福祉法人網走愛育会を設立して、自らも理
事長に就任。潮見保育園を開設したのである。

もともと、イセは子どもが好きだった。

自分の子どもを直接育てることはかなわなかったが、保育園
に行くと、たくさんの子どもたちがむかえてくれる。

子どもたちを見ると、イセのこころははずんだ。

80歳になっても、体力にはなお自信がある。さらには健康
管理を考え、しばらく前から、毎朝1時間の乾布摩擦を欠か
さない。

もちろん、武術の修練もつづけており、みずからをきたえる
ことをやめなかった。

そんなイセだから、80歳を超えてなお、子どもたちと鬼ご
っこをしたり、駆けっこをすることも可能だったのである。

園庭には、しばしば、子どもたちとイセの笑い声がひびいた。

保育士と遊んでいるのかと思って、保護者がのぞくと、白髪
のイセが、園児にまじって走っていて、度肝をぬいたりもし
た。

また、自身が貧しく、お金のために苦労した体験から、子ど
もたちが入園すると、一人ひとりに貯金通帳をつくった。

毎月少しずつの貯金を積み立てし、それを卒園のときにわた
したのである。

「子どものときから、お金のこともきちんと自分で考えられ
るようにね」

子どもたちは無邪気に通帳を受け取ったが、親たちは、先を
見通したイセの配慮に、はっとしたのである。


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「滝上芝桜公園」 
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2016年12月12日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(4)/通巻142話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
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1964年、総理大臣が、池田勇人から佐藤栄作に変わった。

その前年の1963年、イセは、市議会議員第5期目を、ふ
たたびトップ当選。

1966年には、藍授褒章を受章する。

ちなみに、藍授褒章とは、「会社経営、各種団体での活
動等を通じて、産業の振興、社会福祉の増進等に優れた
業績を挙げた方。国や地方公共団体から依頼されて行わ
れる公共の事務(保護司、民生・児童委員、調停委員等
の事務)に尽力した方」にさずけられるもの。

イセの場合は、人権擁護運動に尽くした功績がみとめられた
ものだろう。

このとき、イセ、65歳。

その翌年の1967年の第6期目も、8位と上位当選だった。

もはや、網走市議会の古株であり、自民党道連の婦人部長を
兼任していることもあって、中央では市長よりも顔が通った。

市長が陳情や視察などで上京するときなど、イセが案内役を
つとめるほどだった。

なかでも、親しかったのが、田中角栄である。

実は、田中とイセには、共通点がある。

ひとつは、貧困の苦労のなかで育っていること。

イセは、小学校4年までしか学校に行っていない(実家に連
れもどされ、それ以降行かせてもらえていない)。

田中も、貧しい家庭で育ち、小学校が最終学歴である。

戦前・戦中にかけて、イセは、牛馬商の鑑札をとり、馬喰と
なったが、田中の父も、牛馬商であった。

田中が議員になったのも、イセと同じ、1947年である。

実際には、田中は、前年の1946年に、衆議院選挙に出馬
しているが、このときはちからおよばず、落選して、2回目
の挑戦であった。

イセは、1961年に道連婦人部長になってからは、ひんぱ
んに上京するようになっていたから、顔をあわせる機会も多
かったことは、想像にかたくない。

ちなみに田中は、イセより17歳年下であるが、若いころか
ら恰幅がよく、2人並んでも、あまり年の差を感じさせない。

田中のほうも、圧倒的に男性議員の多いなか、北海道の端の
網走から、やたら元気のいい女性議員がやってくるのが、お
もしろかったのだろう。

背の低いイセが、会合の際に、男性議員のあいだで埋もれそ
うになっているのを、目ざとく見つけて、「中川さん!」と、
ひとをかきわけて、握手をもとめにきた。

イセのことを知らない議員たちは、ときの大蔵大臣(1962
〜1965)が、わざわざ歩み寄る、この小柄な女性は誰だ?
と注目する。

そんな田中から、「中川さん、北海道はどうですか?」と訊か
れると、イセもうれしくなって、「私にまかしてください!」
などとこたえたものだ。

田中の総理大臣在籍期間は、1972年7月から1974年12
月まで。

そのかんも、イセとの親交はつづいた。

1971年、イセ、勲五等宝冠章、受章。なお、「宝冠章」と
は、女性にあたえられる勲章のことである。

同じ年、イセ、7期目を3位で当選する。

1972年には、25年以上議員をつとめたものにあたえられ
る、全国市議会議長会表彰を受ける。

さらに、1973年、法務省人権擁護局長表彰。

1974年、28年以上議員をつとめたものにあたえられる、
全道市議会議長会表彰。

同年、公益のために私財(500万円以上)を寄附した者を対
象とする、紺綬褒章、受章。

イセの名声は、いやがおうでも高まった。

しかし、このころから、イセは、議員をおりることを考えてい
たのだろう。

まず、1973年に、12年つとめた道連の婦人部長の座をお
りる。

そして、1975年、8期目の不出馬を宣言。

まわりのものたちは、おどろいた。

イセは、74歳になっていたが、まだまだ元気だったし、なん
といっても、これまで、上位当選をキープしてきたのである。

「ばっちゃん、当選まちがいなしなのに、なんで!」

「もったいない。出るべきだ」

誰もが、そう言って止めたが、いったん決めたら、てこでも
引かないイセの性格は、変わらない。

「いつまでも年寄りが居すわっていたら、若いひとの活躍の
場所がないべさ。おりるといったら、絶対おりる」

さっぱり、さばさばと、言い切ったのである。


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2016年12月11日

能取岬の四季

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


本日は時間切れにつき、写真のみのアップで失礼します。(笑)

公演で、帰省で、網走に帰るたび、能取岬をおとずれます。

そして、その四季折々の美しさに見とれます。

2015年8月。
201508能取岬5.jpg

2016年6月。
P_20160624_151136.jpg

2016年11月。
201611_n.jpg

タブレットの撮影なので、画質はよくありませんが、雰囲気
だけでもお届けできればと思います。

次回は、2017年2月の予定です。そのときは、この灯台
の向こう側にある海は、流氷で埋めつくされているはずです。

楽しみです。


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2016年12月10日

これまでのあらすじ/夢実子さんが語る「あきらめない精神」

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。


これまでのあらすじ

★第1章★ いせよ誕生
明治34年(1901年)、今野安蔵・サダの娘、いせよ(のちの中川イセ)
誕生。サダは、産後の肥立ちが悪く、死を予感。ヤクザものの安蔵にあとを
託すことを怖れ、佐藤コウに里親を頼むと、その年のうちに亡くなった。
    

★第2章★ 差別と貧しさのなかで
イセは佐藤家の里子になった。佐藤家は貧しく、イセはまわりからいじめられ
たり、差別を受けたりするが、コウの愛情、親友・渡辺みよしの存在、自身の
負けず嫌いの性格で、それらをはね返して成長していく。
     10 11 12 13 14 

★第3章★ はじめての家出
10歳で実家に連れもどされイセは、学校にも行けず、仕事に明け暮れる。
11歳の夏、モヨとの口論から、初めての家出。山形の船山先生夫妻の
家で住み込みの女中をし、かわいがられるも、翌春、船山先生に満州へ
の転勤辞令が出て、再び実家にもどることになる。
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25

★第4章★ イセの初恋
またまた家出し、米沢の寮づきの織物工場ではたらく。仲間もできて楽し
い日々。そんな中、隣に住む名家の次男坊・戸田茂雄との初恋も体験。し
かし、安蔵にイセの居場所を知られたことで、イセは実家に帰ることに…。
26 27 28 29 30 31 

★第5章★ 女優志願
実家にいる間、地域巡演で山形にきた松井須磨子(実はにせもの)にあこが
れ、家出して上京する。しかし、たずねた帝国劇場に須磨子はおらず、い
くつかの仕事を転々とするが、結局あきらめて山形にもどることになる。
32 33 34 35 36 37 

★第6章★ 運命の歯車
人絹工場、機織り工場などではたらくうち、かつて実家に出入りしていた
芸人・八重松と再会。乱暴されて子どもを身ごもり、17歳で娘・愛子を
出産。その後、北海道の遊廓への話をもちかけられ、悩んだ末、イセは3
年で500円の借金をし、そのお金で愛子を里子に出すことにする。
38 39 40 41 42 43 44 

★第7章★ 網走まで
大正7年暮れ、イセは北海道に旅立った。ところが途中で虫垂炎から腹
膜炎をおこし、到着した旭川で即入院。借金が倍の1000円となり、
網走の遊廓に売られることに。駅前の島田食堂の夫婦にかわいがられる。
45 46 47 48 49 

★第8章★「お職」になる!
自転車を借りて町内を乗り回したり、柔道場に通ったりしたイセだが、娼
妓になると今度は、囲碁や将棋をおぼえ、お客を楽しませる工夫をした。
また酒に強く、何度も杯を重ね、そこから収益をあげることも考えた。
51 52 53 54 55 56 57 58 59

★第9章★「小梅」の死
イセは、娼妓に乱暴した客を一本背負いで投げ飛ばすなどで、娼妓たちの
信頼を勝ち得ていった。しかし一方で、妹ぶんの「小梅」が、失恋を苦に
自死。小梅の死をきっかけに、娼妓みんなでちからをあわせることを誓う。
60 61 62 63 64 65 66 

★第10章★中川卓治という男
イセは、柔道場で出会った中川卓治と親しくなり、急速に気持ちが近づい
ていく。卓治の妹・タマは、2人の交際をはげしく反対するが、卓治はイ
セに求婚し、イセは身請けされて、ついに遊廓を出る。
67 68 69 70 71 

★第11章★樺太にて
中川家よりもイセを選んだ卓治。2人は樺太にわたり、仕事を見つけて
はたらき、暮らしを立てた。卓治は、酒がもとでけんかをして大けがを
したりもするが、ついに茂市の許しが出て、網走に帰れることになる。
72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 

★第12章★岬の日々
網走の能取岬にある中川牧場の管理をまかされたイセたち。その雄大な
景色にイセは魅了される。乗馬も覚え、少しずつ馬との暮らしに親しみ、冬
になれば、流氷の美しさに見とれる。平和な日々がすぎていく。
85 86 87 88 89 90 

★第13章★茂市の死
卓治の父・茂市が、娘婿・東条貞の選挙資金調達で14万円の借金を残
して死去。イセと卓治はその借金を引き受ける。拓銀に50年割賦(ロー
ン)を頼むため、イセは札幌本店に出向き、交渉を成立させる。
91 92 93 94 95 96 97 98 99

★第14章★戦況のなかで
借金返済のため、卓治とイセは、馬喰となった。また、念願の愛子をひき
とり、やがて、養子の清と結婚させる。しかし、清は、海軍に招集され、戦死。
100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 
111 112

★第15章★米軍上陸?!
1945年7月、網走空襲。米軍が上陸するかも…という緊迫感のなか、イセ
は自分がおとりになるから、みんなは逃げろと宣言し、町長公宅に泊まり込む。
しかし米軍は上陸せず、8月15日、終戦をむかえる。
113 114 115 116 117

★第16章★初の女性市議会議員誕生
1947年4月、網走が市政変更になったのを受け、初の市議会議員選挙。女
性参政権ができて最初の選挙となり、イセはまわりにおされて立候補。30議
席に83人の立候補だったが、下から3番目で当選。最初の街頭演説の日、
イセは、踏み切りの前に立ち、遊廓時代に亡くなった小梅に演説を聴かせる。
118 119 120 121 122

★第17章★イセ、奔走す!
議員1期めから2期目へ。家の前でのラジオ体操。保育園建設。そして、日
本鋼管とかけあっての、網走での水道敷設。イセは精力的に動きつづけた。
なかでも、一番力を注いだのは、人権擁護の活動だった。遊廓まがいの商売
をしている店に乗り込み、商売替えさせたり、法務局に通告したりした。
123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133

★第18章★塀の向こう
人権擁護委員のイセのもとに、網走刑務所から、受刑者に話をしてほしいと
依頼がきた。イセは遊廓時代のことを思い出していた。囚人のつくった「豆
草鞋」や、脱走して看守に斬殺された囚人のことなど。
134 135 136 137 138

★第19章★駆け抜ける日々(2016.12.9ぶんまで)
ひょんなことから、自民党道連の婦人部長に抜擢されたイセは、中央の政治
家とのつながりもつくっていく。そんななか、夫・卓治につづいて、孫の尋仁が
亡くなった。
139 140 141 


いつもご愛読ありがとうございます

夢実子さんが語る「あきらめない精神」

このところ、夢実子さんのもとに、「中川イセさんのことを
語ってほしい」という講話・講演依頼が相次いでいます。

11月6日には、天童市荒谷公民館フェスティバルにて、語
り劇「掌編 中川イセ物語」とあわせて、「イセさんのあき
らめない精神」の講話がおこなわれました。

1106ちらし.JPG

また、12月3日には、寒河江市更生保護女性会主催の「健
やかな青少年の育成を考える集い」のなかで、講演会『あき
らめない』が企画されました。

1203ちらし.JPG

さらに、きたる12月20日には、山形市倫理法人会モーニン
グセミナーで、講話「中川イセ精神から学ぶ」が開催されます。
(一般参加可。聴講無料)

1220ちらし_n.jpg

こうして、イセさんのことに興味をもってくださるかたがふえ
るのは、うれしいことですし、これをきっかけに、舞台も見て
みたいと思っていただけるなら、さらにうれしいです。

「零(zero)に立つ」のほうは、劇場版ですので、準備等、それ
なりに必要ですが、「掌編 中川イセの物語」のほうは、どこで
も上演できるスタイルです。

興味をおもちいただけたかたは、「オフィス夢実子」までお問い
合わせくださいね。→ http://yumiko333.com/mail.html


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2016年12月09日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(3)/通巻141話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

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1962年、イセの夫、卓治が亡くなった。72歳だった。

実は、イセが、市議会議員として、いそがしく飛び回ってい
た1950年代、卓治は、一度、脳卒中を起こして、倒れて
いた。

さいわい、いのちはとりとめたが、いくぶん、後遺症が残っ
てしまった。

それ以来、卓治は、対外的な活動をすることもなくなり、家
でゆっくり静養していることが多くなっていた。

もう、かつてのように、深酒をしてあばれることもない。

思えば、卓治が一番ほしかったものは、あたたかい家庭
だった。

10歳のとき、母が離婚で家を出され、自分の一度目の結
婚も妻と気持ちがあわずに分かれ、30歳になろうというと
き、イセと出会った。

それから、ずっと苦楽をともにし、生きてきた。

借金のことなど大変なことはあっても、卓治にとっては、こ
の時代が、一番幸福な時代だった。

やがて、息子の宗治も成人して、結婚。牧場の経営も、す
っかりまかせられるようになった。

卓治にとっては、そのころにはもう、人生のさかりはすぎて
いたのである。

だから、脳卒中のあと、からだが不自由になってからは、ほ
とんど好々爺のような生活を送っていたと言っていい。

人生の幸福を手に入れた卓治の晩年は、こうして、静かに、
おだやかに暮れていったのである。

また、何年も、そんな生活がつづいていたから、イセは、卓
治の死を、比較的しずかに受け止めることができた。

もちろん、夫の死が、かなしくないはずはなかったが、この
ころの日本人の平均寿命は、約70歳である。

そう考えると、卓治はけっして短命であったわけではない。
あきらめのつく年齢でもあったのである。

イセは、毎朝、仏壇の前で手を合わせた。

(あんた、よくがんばったね。私も、あと20年もしたら逝く
だろうから、それまで待っていてね…)

あと20年経てば、イセは81歳だ。

27歳のとき、義父・茂市の借金14万円(いまに換算する
と、約2億8千万円)を肩代わりしたとき、北海道拓殖銀行
に、50年割賦(ローン)を申し入れた。

「50年経ったら、あなた、80歳近くになりますよ」

頭取があきれて言うのにたいして、

「いいえ、私はからだが丈夫ですから、80歳になっても元
気にはたらいています!」

そう言い切ったあの日のことが思い出される。

日本人の平均寿命が、45歳だったころである。

(そう。私は丈夫だから、少なくとも、あと20年は、待って
てもらわなくちゃね…)

イセは、ほほえみながら、卓治の遺影に語りかけた。

まさか、この先、40年以上生きるなどとは、思いもよらな
いイセである。

しかし、翌年、1963年、さらにおおきな不幸が、イセをお
そった。

愛子の子ども、尋仁が亡くなってしまったのである。

イセにとっては、養子にした清の忘れがたみであり、誰より
もかわいがっていた孫である、

死因は、結核であった。

元気に育っていった尋仁が、結核に罹患したのは、高校生
のころだったと思われる。

網走のとなりにある、北見市の病院に入院することになった
が、病状は、悪化の一途をたどった。

結核は、かつては「国民病」と言われたほど罹患者が多く、
いまなお、年間18000人のひとが罹患し、2000人近
いひとが亡くなっている。

当時は、その倍近くも、罹患率は高かった。

若いからだを、結核菌は容赦なくむしばみ、治療の甲斐な
く、尋仁はそのいのちを散らしたのである。

享年20歳。

さしものイセも、足もとが崩れ落ちるような気持ちになった。

遊廓で、からだをいためていたイセは、卓治とのあいだに、
子どもをもうけることができなかった。

だから、愛子の子どもである尋仁だけが、たったひとり、イ
セの血を受け継ぐものだったのである。

どれだけ、この孫の成長をよろこんできただろう。

その尋仁が、わずか20歳で…。

それでも、いつまでもふさいだ気持ちのままでいることはで
きない。

それだけたくさんの仕事と責任が、イセの肩にかかっていた
のである。


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2016年12月08日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(2)/通巻140話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
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一介の市議会議員にすぎなかったイセが、中央とのつながりを
もつようになったのは、まちがいなく、この自民党道連の婦人
部長になったためである。

道連本部のある札幌へも、ひんぱんに出向くようになった。

東京まで飛ぶこともしばしばあった。

先進的なこころみをやっているという事例を聴けば、他県にも
どんどん視察にいった。

道連に、小柄だが、やたら生きのいい婦人部長がいる、という
うわさは、いつのまにか広がっていった。

人脈も一気にふえていく。

もっとも、イセは、それを足がかりにして、中央に出ようなど
とは、露ほどにも考えなかった。

自分は、網走のために尽力する。ただ、引き受けたからには、
道連の仕事も、やれるかぎりのことはやる。それだけである。

中央では、1960年、岸内閣に代わって、池田勇人内閣が発
足していた。

1962年、参議院議員選挙の応援のために、池田総理が札幌
入りした。

やはり応援のため札幌入りしていたイセは、これは千載一遇の
チャンスだと考えた。

5年前の1957年、売春防止法が制定されたが、いつまでた
っても、裏で、あこぎな商売をやるものが絶えない。

党は、これをどう受け止めているのか。法律だけつくって終わ
りでは意味がないではないか。

それを直談判しようと考えたのである。

イセは、親しくしていた、道連の青年部長に声をかけた。

「あんた、青少年育成事業のことで、党の方針を聴きたいって
言ってたでしょ。これは、いいチャンスだよ」

「ええっ、そんなこと、いきなりやっていいんですか?」

「わたすらは、市民のためにはたらいてる。市民のためになる
ことなら、何を遠慮することがあるかね」

「相手は総理ですよう…」

「総理だから、話が早いんじゃないか」

「上の了解も得ないで、あとで問題になったりしないかなあ」

「そんなことしてたら、総理は次のところに移動してしまうよ。
問題になったら、わたすが責任をとってやるから、あんたは心
配しなくていい」

その日、応援演説を終えた池田総理に電話をかけ、イセは、自
分の泊まるホテルの一室に、総理を呼び出した。

「どうしても、お話ししたいことがございます」

イセのうわさは総理も耳にしていたから、何ごとかと興味を示
して、呼び出しに応じてくれた。

イセは、ここぞとばかり、持論をぶつけた。

「女性の人身売買は、絶対にみとめられません。けども、現状
はそうはなってません。党としては、これをどのように考えて
おりますか?」

池田総理は、もともと大蔵省の出身である。つまりは経済には
強いが、こうした、人権擁護の側面には、精通していない。

それにたいして、イセは、火の玉のように熱く、女性差別の問
題をうったえる。

池田総理は、ただただ圧倒される想いで、そのうったえを聴く
しかなかった。

のちに、このときのことを、青年部長は、苦笑いしながら、知
人に打ち明けた。

「あのときは冷や汗もんだったよ。一国の総理を呼び出して、
ホテルの一室に監禁したようなものだからねえ。

それにしても、中川さんは、相手が誰でも臆するということ
がない。いやはや、たいしたもんだよ」

池田総理が、イセのうったえを、どれほど現実に反映させるこ
とができたかどうかは、わからない。

「所得倍増計画」をかかげた池田内閣のもと、日本は、高度経
済成長時代に突入していくのである。


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2016年12月07日

物語版「零(zero)に立つ」第19章 駆け抜ける日々(1)/通巻139話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
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1947年、網走市議会30議席中、28番目に当選したイセ
だったが、4年後の1951年には、5位当選。1955年には、
トップ当選を果たす。

ちなみに、イセは、第1回目と第2回目は、「民主党」から
出ているが、これは、後世の民主党ではなく、1947年に結
成された、「日本民主党」のことである。

当時の総裁に鳩山一郎、副総裁に重光葵、幹事長に岸信介
の名前が見える。

しかし、終戦直後は、どの政党も結党・分裂・離散を繰り返し、
日本民主党も例外ではなかった。

日本民主党から離脱した一部が「民主クラブ」となり、1955
年に、吉田茂を党首とする自由党と保守合同を組み、現在の
自由民主党の誕生となる。

そんないきさつで、イセも、第3回目からは、自由民主党の議
員として、立候補しているが、本人は、あまり党派にはこだわ
っていない。

のちに、「なぜ自民党から?」と問われて、「なんとなく」とこた
えているくらいである。

その1955年には、イセも54歳。

3期連続当選、しかも3期目はトップ当選とあって、イセの名前
は北海道内でも知られはじめる。

3年後の1958年には、網走人権擁護委員協議会の会長に
なり、1988年の、87歳までこの任につくことになる。

(87歳は、イセが、「網走監獄」保存財団の理事長になった
年である)

翌1959年の4期目は、7位当選。しかも、このころになって
も、市議会には、女性はほとんど入っていなかった。

女性たちを中心に、期待は、いやがおうでも、イセにそそがれ
るのである。

1961年、イセ60歳の年である。

6月に、自由民主党北海道支部連合会(略称「自民党道連」)
では、婦人部長を決めることになっていた。

当時、婦人部長は、北海道議会議員か、もしくは、その夫人
がつとめることになっていた。

ところが、候補になった2人が、それぞれにグループをつく
って、はげしく対立した。何度調整しても、決着がつかない。

互いに険悪な雰囲気となり、仮に決まっても、その後の運営
に悪影響をおよぼすことが懸念された。

「こうなったら、別の選びかたをしましょう!」

と、決断をくだしたのは、自民党道連の幹事長であった岩本
政一であった。つまりは、喧嘩両成敗である。

「で、どうするんですか?」

「道議がだめなら、市議から出すことにしましょう」

そんなわけで、イセのところに、道連の担当者と名乗るもの
から、電話がかかってきた。

「はい? 婦人部長? いきなりどういうことです?」

イセは面食らった。網走で市議4期目とはいえ、党の執行部
になど、関心を持ったこともなかった。

「実は…、こういう事情がありまして…」

「そんなこと。ほかにもっと適任者がいるでしょう」

「現在、党では、道内の女性市議は3人しかいないんですよ。
ですから、そのなかで、ということで…」

「ほかのかたにしてください」

「その2人が辞退されまして、もう中川さんしか、お願いで
きるひとがいないんですよ」

なんというむちゃくちゃな頼みかただろう。イセはあきれた。

こんなもの、きっぱりことわってやろうと想い、イセは、こう
返事した。

「せっかくだけど、おとこわりします。

わたすは、裸馬に乗って、札幌じゅうを駆けめぐれと言われ
ても、あぐらかいて一升瓶飲めと言われても、できるけど、

大体、尋常小学校4年までしか出てなくて、満足に自分の名
前さえ書けないんだ。

そんなわたすが、婦人部長なんかつとまらないべさ」

もちろん、「自分の名前さえ書けない」というのは、おおげ
さすぎるが、それくらい言えば、相手もあきらめるだろうと
思ったのである。

数日後、幹事長の岩本から、じきじきに電話がかかってきた。

「話を聴きましたよ。おもしろいじゃないですか。それで市
議をやろうという度胸にほれました。ぜひ、婦人部長をやっ
てください。

なに、字なんか書けなくていい。大学卒の秘書をつけますか
ら、全部、秘書にやらせたらいい」

実は、岩本自身、小学校しか卒業していなかった。だから、
よけい、イセに興味がわいたのだろう。

そんなわけで、さすがのイセも、返すことばがなかった。

こうして、イセは、自民党道連の婦人部長に就任することに
なったのである。


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2016年12月06日

物語版「零(zero)に立つ」第18章 塀の向こう(5)/通巻138話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


そんな機会があってから、イセは、しばしば、刑務所での講
話に呼ばれるようになった。

イセの体験談には、苦労や悲惨な内容だけではなく、笑いも
あった。

米沢の人絹工場から逃げ出そうとして、塀を越えるときに、
着物のすそが引っかかって、ぶら下がり、あやうく宙づりに
なりそうになったという話。

遊廓で、妹ぶんの娼妓の首をしめようとした中年男を、一本
背負いで、のしてしまった話。

古い借金証書で金をせびろうとした男が、酒のいきおいで調
子づいたのを利用して、逆に、すっからかんにさせてしまっ
た話。

とにかく、イセの「武勇伝」には枚挙にいとまがない。

イセの苦労話に、さっきまで涙を浮かべていた受刑者が、今
度は、涙のかわききらぬ顔で笑う。

ふだんは、笑い声などめったに聴こえない刑務所のなかに、
大勢の笑い声がひびくと、警護の看守たちも、「おやっ」と耳
をかたむけるのだった。

評判を聴いて、イセを講演に呼びたいと依頼してくるところ
も、ふえてきた。

また、個人的に話を聴いてほしいというものも、前にもまし
てふえてきた。

イセの家には、しじゅう、ひとが出入りして、相談ごとやお
願いごとをもちかけてくるようになった。

あるとき、小学生の男の子を連れた女性が、「話を聴いてほ
しい」と、相談にきた。

聴けば、夫が罪を犯して、刑務所に入ってしまった。子ども
が、そのことで友だちにからかわれ、学校を休みがちになっ
てしまったという。

男の子は、母親がイセに相談するのを、じっとうつむいて聴
いていた。

イセは、しゃがみこむと、男の子の顔をしっかり見て言った。

「刑務所に入っていることは、なんもはずかしいことではな
いよ。

ひとは誰でも、まちがったり、道をあやまったりすることが
ある。

お父さんは、まちがったことをちゃんとみとめて、それをつ
ぐなうために、いま、刑務所でおつとめをしているんだ。

ひととして、なすべきことをしているんだ」

男の子は、顔を上げ、びっくりしたようにイセを見た。

イセは、にっこり笑って、男の子の頭をなぜた。

「わたすもね、子どものころ、父親が刑務所に入っていて、
まわりの子どもたちに、さんざんからかわれたよ。

だけど、負けなかった。からかうやつのほうがおかしいって、
言い返してやったよ。

君は、何もまちがったことも、いけないこともしたわけでは
ないのだから、堂々と学校に行きなさい。

そして、お父さんが帰ってきたときに、ぼくはがんばったよ
って、しっかり報告してやりなさい」

男の子は、真剣な目でイセを見ると、こくりとうなずき、次
の瞬間、ぱっと笑顔になった。

そばで見守っていた母親の目から、涙があふれた。

イセは、その母親に言った。

「あんたも、毎日大変だろうが、だんなさんの留守中、子ど
もを守ってやれるのはあんただけなんだから、しっかりがん
ばるんだよ」

母親はうなずき、何度も礼を言って、帰っていった。

その後、手紙が届き、あれから子どもは元気に学校に通って
いるということだった。

後日、イセは、ふたたび網走刑務所に呼ばれたとき、この話
をした。

「子どもたちはね、親がどんなことをしても、親のことをき
らいにはならないです。

ずっと、早く帰ってきてほしいって待ってると思います。

もしも、このなかに、お子さんのおられるかたがいたら、ど
うぞ、お子さんのことを思い出して、

一日も早く帰れるように、毎日をしっかりおつとめなさって
ください」

イセがそう言うと、受刑者のなかから、いっせいにすすり泣
きの声がもれた。なかには嗚咽するものさえいた。

この話には後日談があって、数年後、ひとりの男が、イセを
たずねてきた。

「以前、大変お世話になりまして…」

見慣れない顔だったので、イセがけげんな顔をすると、男は
照れくさそうに言った。

「実は、あのとき、話に出た子どもは、自分の子どもでして
…あれにはまいりました」

「そうだったんですか。で、いまは…」

「はい。おかげさまで、この春、無事に刑期を終えました。
いまは家にもどって、細々とですが、かたぎの仕事をして
おります」

「そうですか。お子さんのために、奥さんのために、これか
らもしっかりやってください」

「ありがとうございます。あのとき、話を聴かせてもらわな
かったら、いま、こうしてここにはいなかったと思います。
どうしてもお礼が言いたくて、うかがいました」

男は、深々と礼をして、帰っていったのだった。


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2016年12月05日

物語版「零(zero)に立つ」第18章 塀の向こう(4)/通巻137話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


イセは、語りだした。

自分は、2歳になる前に、母が病気で亡くなったこと。

父親が、博打打ちで、里子に出されることになったが、養育
費を払ってもらえなかったこと。

そのため、ひきとってくれた里親の家に、大変な苦労をかけ
たこと。

貧乏人、里子、博打打ちの子どもということで、まわりから
いつもいじめられていたこと。

いじめられても、絶対に負けずに、やり返したこと。

里親の家の子どもにうとまれて、わざと食事を食べさせても
らえなかったこと。

向かいの家の子と仲良くなり、そこで食事をさせてもらえる
ようになったこと。

運動会では、がんばって一等賞をとって、賞品のノートを獲
得したこと。

貧しく、身なりもぼろぼろだったので、4年生にあがるとき、
総代として壇上にあがることをゆるされなかったこと。

その4年生のときに、10年近く音沙汰のなかった父親が、
継母とともにやってきて、いきなり実家にもどされることに
なったこと。

学校に行かせてもらえず、家の仕事をさせられたこと。

11歳のとき、継母と衝突して、父にも家をたたき出され、
みずから家出を決めたこと。

ひとりで、住み込みの仕事を探したこと。

…イセの話は、よどみなくつづいた。

お説教や訓示のようなことばは、ひとつもなかった。

ただ、淡々と、自分の身の上を語った。

受刑者たちは、はじめ、しんとして、話を聴いていた。

が、話がすすむにつれて、そこかしこで、すすり泣きの声
が聴こえはじめた。

誰もが、多少なりとも、イセと重なる境遇をたどってきた。

親に捨てられたもの。親を捨てたもの。

空腹に耐えきれず、やむなく盗みをはたらいたもの。

ささいなけんかから、ひとを傷つけてしまったもの。

ひとにだまされ、ひとを信じることができなくなったもの。

その誰もが、自分の人生を、これでよしとしてきたわけでは
ない。

できれば、まっとうな生きかたを選びたかった。

いま、目の前にいる小柄な女性は、遊廓にまで落ち、多大な
借金を背負いながらも、その逆境をはねのけて、生きている。

世をすねることもなく、ひとを踏み台にすることもなく、自分
の人生を生きている。

それどころか、女性ながら市会議員となり、ひとのために尽
くす人生を歩んでいる。

こういう生きかたもあるのだ。

こういう生きかたを、選ぶこともできるのだ。

自分も、どこかで、ちがう道を歩むチャンスがあったなら…。

あのとき、ああしていれば…。

受刑者たちのこころには、そんな想いが交錯していたので
はないだろうか。

「わたすが、いまこうして生きていられるのは、わたすをさ
さえてくれた、たくさんのかたのちからがあったから。

網走という、この土地が、あたたかく、やさしく、わたすを
受け入れてくれたから。

だから、みなさんもどうぞ、しっかりとここでのおつとめを
すませて、外の社会にもどってきてください。

みなさんをむかえてくださるかたがたが、きっといます」

イセは、そう言って話を終え、頭を下げた。

静かに拍手が湧き、やがて次第に大きくなっていった。

拍手は、教誨堂のなかにこだまし、ながい時間、なりやむ
ことがなかった。


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2016年12月04日

人生はアート〜語ること・つながること〜

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


昨日は、このお芝居とは直接関係ありませんが、「アーティスト
フォーラムライブ2016
」というイベントに参加してきました。

友人の安達充さんが主催しています。

ひとりのひとが、自分の人生を歌にして(作詞)、それに安達
さんが曲をつけて、本人が歌う、というスタイル。

なかには、ひとまえではじめて歌うひともいれば、すでにC
Dも出して、音楽活動をしているひともいます。

そんなことは関係なく、自分の人生と向き合いながら、こと
ばをつむぎだし、歌というアートに結晶させていくこころみ。

素直に、こころをゆさぶられました。

そして、歌と演劇、というちがいはあるけれど、実は、私も
同じような活動をしているなあと、あらためて思ったのです。

私の場合は、そのひとの人生や、あるいは地域の歴史を脚
本にし、ときに舞台づくりまでかかわります。

この、夢実子さんの語り劇「零(zero)に立つ」や「掌編・中川
イセの物語」も、直接本人ではありませんが、

夢実子さんが心底演じたいと思うひとの人生を、追いかけ
ています。

ひとりのひとにフォーカスする、という点では共通している
と思います。

また、ここ3年ばかりかかわっている「マイヒストリーの会」。

これは、ごくみぢかなひとたちで集まって(オープンのケー
スもありますが)、ひとりのひとの半生を、90分、ひたす
ら聴く、という会です。

そのつど、どんなひとの人生のなかにも、ドラマがあり、軽
んじていい人生なんてひとつもないのだということに、気づ
かされます。

ひとは、必ず、死んでいきます。

残念ながら、死んでしまえば、もう、そのひとのことを知る
ことはできなくなります。

何をしたか。どんな想いでいたかも、忘れられていきます。

けれども、語ることで、それをひとに伝えることができます。

歌やお芝居にすることで、そのひとの想いを、さらにおおく
のひとに伝えていくこともできます。

この「零(zero)に立つ」の連載も、当初は、主要資料である、
山谷一郎さんの「岬を駈ける女」に描かれたところまでで、
終わろうと思っていました。

でも、書いているうちに、できる範囲でいいから、その先も
知りたい、残したいという気持ちになって、あらたに資料を
もとめ、取材し、書きつづけています。

連載自体は、年内くらいには終了になると思いますが、取材
は、可能なかぎり、つづけてみたいという気持ちでいます。

そのひとを知るひとが、生きているあいだしか、知ることは
できませんから。

ひととひとのつながりのうすい時代だと言われます。

ひとりでいることがこわくて、ラインで延々とやりとりをつ
づけたり、SNSに投稿をしているひともいます。

でも、そのひとの深いところにふれることなしに、うわべだ
けのやりとりをいくらやっても、本当のつながりは生まれま
せん。

語ることで、歌うことで、お芝居をつくることで、そのほか、
あらゆる表現をとおして、

ひとは、自分のこころをひらき、深め、伝え、つながってい
くのだと思います。

アートには、そうしたちからがあるのだと思います。

これをお読みのあなたも、あなたの人生を、どうぞ語ってく
ださい。表現してください。伝えてください。

生きるとは、表現すること。人生は、まるごとアートです。


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2016年12月03日

これまでのあらすじ/「網走監獄」博物館見学

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。


これまでのあらすじ

★第1章★ いせよ誕生
明治34年(1901年)、今野安蔵・サダの娘、いせよ(のちの中川イセ)
誕生。サダは、産後の肥立ちが悪く、死を予感。ヤクザものの安蔵にあとを
託すことを怖れ、佐藤コウに里親を頼むと、その年のうちに亡くなった。
    

★第2章★ 差別と貧しさのなかで
イセは佐藤家の里子になった。佐藤家は貧しく、イセはまわりからいじめられ
たり、差別を受けたりするが、コウの愛情、親友・渡辺みよしの存在、自身の
負けず嫌いの性格で、それらをはね返して成長していく。
     10 11 12 13 14 

★第3章★ はじめての家出
10歳で実家に連れもどされイセは、学校にも行けず、仕事に明け暮れる。
11歳の夏、モヨとの口論から、初めての家出。山形の船山先生夫妻の
家で住み込みの女中をし、かわいがられるも、翌春、船山先生に満州へ
の転勤辞令が出て、再び実家にもどることになる。
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25

★第4章★ イセの初恋
またまた家出し、米沢の寮づきの織物工場ではたらく。仲間もできて楽し
い日々。そんな中、隣に住む名家の次男坊・戸田茂雄との初恋も体験。し
かし、安蔵にイセの居場所を知られたことで、イセは実家に帰ることに…。
26 27 28 29 30 31 

★第5章★ 女優志願
実家にいる間、地域巡演で山形にきた松井須磨子(実はにせもの)にあこが
れ、家出して上京する。しかし、たずねた帝国劇場に須磨子はおらず、い
くつかの仕事を転々とするが、結局あきらめて山形にもどることになる。
32 33 34 35 36 37 

★第6章★ 運命の歯車
人絹工場、機織り工場などではたらくうち、かつて実家に出入りしていた
芸人・八重松と再会。乱暴されて子どもを身ごもり、17歳で娘・愛子を
出産。その後、北海道の遊廓への話をもちかけられ、悩んだ末、イセは3
年で500円の借金をし、そのお金で愛子を里子に出すことにする。
38 39 40 41 42 43 44 

★第7章★ 網走まで
大正7年暮れ、イセは北海道に旅立った。ところが途中で虫垂炎から腹
膜炎をおこし、到着した旭川で即入院。借金が倍の1000円となり、
網走の遊廓に売られることに。駅前の島田食堂の夫婦にかわいがられる。
45 46 47 48 49 

★第8章★「お職」になる!
自転車を借りて町内を乗り回したり、柔道場に通ったりしたイセだが、娼
妓になると今度は、囲碁や将棋をおぼえ、お客を楽しませる工夫をした。
また酒に強く、何度も杯を重ね、そこから収益をあげることも考えた。
51 52 53 54 55 56 57 58 59

★第9章★「小梅」の死
イセは、娼妓に乱暴した客を一本背負いで投げ飛ばすなどで、娼妓たちの
信頼を勝ち得ていった。しかし一方で、妹ぶんの「小梅」が、失恋を苦に
自死。小梅の死をきっかけに、娼妓みんなでちからをあわせることを誓う。
60 61 62 63 64 65 66 

★第10章★中川卓治という男
イセは、柔道場で出会った中川卓治と親しくなり、急速に気持ちが近づい
ていく。卓治の妹・タマは、2人の交際をはげしく反対するが、卓治はイ
セに求婚し、イセは身請けされて、ついに遊廓を出る。
67 68 69 70 71 

★第11章★樺太にて
中川家よりもイセを選んだ卓治。2人は樺太にわたり、仕事を見つけて
はたらき、暮らしを立てた。卓治は、酒がもとでけんかをして大けがを
したりもするが、ついに茂市の許しが出て、網走に帰れることになる。
72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 

★第12章★岬の日々
網走の能取岬にある中川牧場の管理をまかされたイセたち。その雄大な
景色にイセは魅了される。乗馬も覚え、少しずつ馬との暮らしに親しみ、冬
になれば、流氷の美しさに見とれる。平和な日々がすぎていく。
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★第13章★茂市の死
卓治の父・茂市が、娘婿・東条貞の選挙資金調達で14万円の借金を残
して死去。イセと卓治はその借金を引き受ける。拓銀に50年割賦(ロー
ン)を頼むため、イセは札幌本店に出向き、交渉を成立させる。
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★第14章★戦況のなかで
借金返済のため、卓治とイセは、馬喰となった。また、念願の愛子をひき
とり、やがて、養子の清と結婚させる。しかし、清は、海軍に招集され、戦死。
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★第15章★米軍上陸?!
1945年7月、網走空襲。米軍が上陸するかも…という緊迫感のなか、イセ
は自分がおとりになるから、みんなは逃げろと宣言し、町長公宅に泊まり込む。
しかし米軍は上陸せず、8月15日、終戦をむかえる。
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★第16章★初の女性市議会議員誕生
1947年4月、網走が市政変更になったのを受け、初の市議会議員選挙。女
性参政権ができて最初の選挙となり、イセはまわりにおされて立候補。30議
席に83人の立候補だったが、下から3番目で当選。最初の街頭演説の日、
イセは、踏み切りの前に立ち、遊廓時代に亡くなった小梅に演説を聴かせる。
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★第17章★イセ、奔走す!
議員1期めから2期目へ。家の前でのラジオ体操。保育園建設。そして、日
本鋼管とかけあっての、網走での水道敷設。イセは精力的に動きつづけた。
なかでも、一番力を注いだのは、人権擁護の活動だった。遊廓まがいの商売
をしている店に乗り込み、商売替えさせたり、法務局に通告したりした。
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★第18章★塀の向こう(2016.12.2ぶんまで)
人権擁護委員のイセのもとに、網走刑務所から、受刑者に話をしてほしいと
依頼がきた。イセは遊廓時代のことを思い出していた。囚人のつくった「豆
草鞋」や、脱走して看守に斬殺された囚人のことなど。
134 135 136 

いつもご愛読ありがとうございます


本日は、時間がないので、写真のみにて失礼します。

11月26日、札幌で、語り劇「掌編・中川イセ物語」を終
えたあと、翌日は、それぞれに行動したのち、夢実子さんは、
山形へもどり、私は、実家のある網走へ。

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28日、中川イセさんが理事長をつとめた「網走監獄」博物
館を訪問しました。

これまでは、夢実子さんたちと一緒の取材で、公演前だった
こともあり、なかなかゆっくり、施設を見学できていなかっ
たのです。

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なので、この日は、ひとりで、ゆっくりとまわりました。

夏は観光客でにぎわっているこの博物館も、この日は、月曜
ということもあるのか、あまりひとと遭遇することもなく、見学
を楽しめました。

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とくに、舎房は、床がレンガでできているので、歩くと、カツー
ン、カツーンという音がひびきます。

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迫力ある人形に、思わずどきっ。なんだか、ドラマのなかに
いるような気持ちでしたよ〜♪

もちろん、イセさんにかかわる取材も、しっかりとさせてい
ただきました。お楽しみに


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「流氷とオホーツクタワー」 
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2016年12月02日

物語版「零(zero)に立つ」第18章 塀の向こう(3)/通巻136話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
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網走郡津別町の阿幌(あほろ)岳に源を発し、網走湖の横で
おおきく蛇行して、オホーツク海にいたる、網走川。

その蛇行するそばに、「鏡橋」という名の橋がかかっている。

その向こうは、網走のひとびとにとって、近くて遠い場所で
ある。

1922年に「網走刑務所」と改称された「網走監獄」が、そこ
にある。

刑に服するひとびとは、必ずこの橋をわたるのだ。

そして、無事に刑期を終えることができれば、この橋をわた
って、一般社会にもどっていくことができるのだ。

「鏡橋」の名前には、「流れる清流を鏡として、我が身を見
つめ、自ら襟をただし目的の岸にわたるべし」との思いが込
められている、という。

イセは、その橋をわたり、はじめて網走刑務所の敷地へと、
足を踏み入れた。

最初に案内されたのは、所長室だった。

「このたびは、わたすのようなものをご指名いただきまして」

イセが頭を下げると、所長は首を振ってこたえた。

「とんでもない。本日は楽しみにしておりました。

ふだんは、牧師さんやご住職にお願いすることが多いんです
が、ひょんなことから、中川さんの経歴のことが話題になり
まして。

いや、大変な人生をお送りになられましたね。

ご想像いただけるかと思いますが、ここに入っているものた
ちも、不遇な環境を体験してきたものが少なくありません。

それで、そういうお話をしていただくほうが、彼らにとって
は、みぢかに感じるのではないかという話になりまして」

言われて、なるほど、自分が呼ばれたのはそういう意味だっ
たのかと、あらためて納得した。

時間がきて、案内されたのは、「教誨(きょうかい)堂」と
呼ばれる建物だった。

「教誨」とは、「矯正施設において収容者・受刑者の徳性の
育成や精神的救済を 目的として行われる活動」のことである。

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イセが、教誨堂に入ると、すでに、数百人の受刑者たちが、
整列して、すわっていた。

イセは、正面のステージにのぼると、ゆっくりと受刑者たち
の顔を見渡した。

網走刑務所は、12年以上〜無期懲役の受刑者のみが集め
られ、屈強のものでさえ、「網走に送る」と言われれば、顔
色を変えるようなところだ。

しかし、1973年に改築のため、長期服役者は旭川に移送
され、以後は、おもに軽犯罪者を受け入れるかたちに変わ
っている。

だが、このころは、まだまだ、10年、20年という、長期服
役者もおおぜいいた。

この数百人は、一人ひとりが、それぞれの重い歴史を背負っ
て、ここにいるのだ…。イセはそう感じた。

イセは、ゆっくりと口をひらいた。

「いま、所長さんに、この網走刑務所の歴史について、お話
をうかがいました。

明治時代に、北海道の中央道路をつくるために、網走刑務
所に入っておられたかたがたが、その作業にあたった。

わずか1年で、原始林をきりひらいて、200キロ近い道をつ
くるという、過酷な作業だったとうかがっています。

そのために、多くのかたがたがいのちを落とされたことも、
うかがいました。

北海道の道は、ひいては、網走の町は、みなさんのちからに
よってつくられたわけですね。

私たちは、みなさんに感謝しなくてはならないと思います」

受刑者たちの視線が、壇上のイセに集中するのがわかった。

ここに入ってから、「感謝をしなさい」と言われたことはあっ
ても、「感謝する」と言われたのは、はじめてだったからだ。

イセは、つづけた。

「わたすは、先ほど、市議会議員という肩書きでご紹介をい
ただきましたが、今日は、そういう肩書きではなく、

みなさんと同じように、人生の辛酸をなめてきたひとりの人
間として、お話しさせていただきたいと思います」


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posted by 夢実子「語り劇」プロジェクト at 05:43| Comment(0) | 物語版「零(zero)に立つ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

物語版「零(zero)に立つ」第18章 塀の向こう(2)/通巻135話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
 脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。

※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら


電話を切ったあと、イセは、もうひとつの記憶を思い出した。

あれは、もう、20歳になったころだったろうか。

金松楼の近くにある網走川にかかる、網走橋で、監獄を脱走
した囚人が、追ってきた看守に斬殺されるのを、イセは目撃
したのである。

いや、目撃したというのは正解ではないかもしれない。

それは、夏の夜のことだった。

網走監獄から囚人が脱走したので、出入りに気をつけるよう
に。もし立ち寄ったらすぐ知らせるようにとの連絡があった。

脱走囚が、海のほうに逃げてくるケースは、めったにない。

海沿いを逃げるのは見つかる危険が高いから、たいていは、
山にかくれようとして、内陸に逃げるのだ。

だから、海の近くの金松楼のほうにやってくることは考えに
くかった。

それよりも、イセたちにとっては、囚人がつかまらないで逃
げおおせてほしい…という想いのほうが強かった。

あの「豆草鞋」の一件にもあるように、同じ社会の底辺を生
きるもの同士の共感のようなものを、娼妓たちは囚人たちに
たいして、いだいていたのだ。

まんじりともしない夜が、まもなく明けようというときだ。
にわかに、外がさわがしくなった。

「橋の上で、何人か、もみあってるよー!」

誰かがさけぶ声がした。

あわてて、2階の窓からのぞいて見ると、網走橋のうえで、
もみあう複数の黒い影が、たしかに見えた。

荒い息づかいにまじって、「おさえろ」「逃がすな」という
声も聴こえる。

つづいて、金属と金属がふれあう音が聴こえた…と想った
瞬間、「ぎゃっ」という叫び声とともに、そのうちのひとり
が、その場にくずれ落ちたのだ。

あとでわかったことだが、囚人を追い詰めた看守が、もっ
ていた日本刀で、その囚人を斬り殺してしまったのだ。

イセたちは、金松楼の2階から、ふるえながら、その惨劇
を見つめているしかなかった。

「脱走囚、死亡」のニュースは、新聞にもとりあげられ、
網走の街のなかでも、さまざまなうわさが流れた。

この囚人は、5年前に網走に流れてきて、つかまるまでの
5年間を、町で暮らしていたのである。

仕事ぶりはまじめで、なじみのものも少なからずいた。

それが、凶器をもって抵抗したとはいえ、いきなり斬り殺
されるというのは、町のひとたちにとっては、受け入れが
たいことであったのだ。

もちろん、監獄がわにも言い分はある。

囚人が脱走すれば、町のひとが危害にあう可能性もある。

そうでなくても、脱走した囚人は、興奮状態にある。

ふだんはおとなしい男でも、そんなときには、想いもかけ
ず、攻撃的な態度を見せることは、想像にかたくない。

また、収監している他の囚人たちに、「逃げられるかもし
れない」という気持ちを、あたえるかもしれない。

なんとしても、一刻も早くつかまえる必要があったのだ。

とにかく、この事件は、当時の網走の街のなかでは、しば
らくうわさを呼んだ話であったのだ。

(30年も昔の話とはいえ、こんな大切なことを忘れて
いたなんて…)

電話を切ったあと、イセはしばらく考え込んだ。

議員になってから、女たち、子どもたちのための活動に
奔走してきたけれど、ここにも、社会からないがしろに
されているひとたちがいる。

どんな想いで、塀のなかの日々を送っているだろう。

二度と出られないかもしれない絶望とたたかいながら、
さぞつらい気持ちをかかえているのではないだろうか。

自分の過去を話してやることで、少しでも、生きる勇気
をもってもらえるなら…。

イセの気持ちは、高まった。

ここから、さらに30年後に、「網走監獄」博物館の理
事長になろうとは、まだ想像もしないイセであった。


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posted by 夢実子「語り劇」プロジェクト at 04:20| Comment(0) | 物語版「零(zero)に立つ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする