『零(zero)に立つ〜激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜』
※この作品は、もともと、女優・夢実子が演ずる語り劇として書かれたものを、
脚本を担当したかめおかゆみこがノベライズしているものです。
※これまでのあらすじと、バックナンバーは、こちら
「わたすがですか? 普通、そういうところで話をするって
いえば、お坊さんとか牧師さんとかではないんですか?」
「いえ、ふだんはそうなんですが、中川さんがこれまでいろ
いろご苦労をなさっているという話を聴いて、ぜひ、囚人た
ちに聴かせてやりたいと想いまして」
「わたすなんかでいいんでしょうかねえ」
「中川さんは、人権擁護委員もなさってますから、立場的に
も問題ありませんよ」
「そうですか…」
話しながら、イセの脳裏に、不意に、遠い昔の記憶がよみが
えってきた。
あれは、まだ18歳そこそこ。遊廓に入ってまもないころのこ
とである。
金松楼の先輩娼妓のひとりが、お守り袋のなかから、何か
を大事そうに取り出して見せてくれた。
「イセちゃん、こんなの、見たことないでしょう?」
「何ですか?」
ぱっと見に、糸くずのかたまりかと想ったが、よく見ると、
草鞋のかたちをした飾りものなのであった。
それも、指先にちょこんと載るくらい、ちいさなものだ。
そのくせ、本物の草鞋と同じように、きっちりていねいに、
編み込まれている。
本物とちがうところは、そこに何本かの長めの糸がついてい
るところだ。
「わあ、本物そっくり。よくできてますねえ」
「これ、誰がつくったかわかる?」
「誰って…。土産ものやさんとかじゃないんですか?」
先輩娼妓は、自慢げに、首を振って言った。
「囚・人・さん」
「え?…あの、監獄の…ですか?」
イセは、思わず、金松楼の近くを流れる網走川のほうに目を
やった。
その網走川を少しのぼると、大曲(おおまがり)といって、
ぐっと流れが湾曲するところがあり、その川向こうに、網走
監獄は建っていた。
歴史的にいえば、1890年、「釧路監獄署網走囚徒外役所」
として開設され、のちに「北海道集治監網走分監」となる。、
「網走監獄」として改称されたのは、1903年(明治36年)。
その後、1922年(大正11年)に「網走刑務所」と改称さ
れるが、イセがいた当時は、まだ「監獄」と呼ばれていた。
当時の網走監獄は、いまとちがって、無期懲役や20年、30
年は当たり前というものたちばかりが、収容されていた。
その長い年月、檻のなかで暮らすものたちが編み出したのが、
この「豆草鞋」づくりなのである。
それは相当な熟練を要し、習熟するのに3年、5年とかかる
ものであった。
しかも、見つかれば没収の、いわば反則品である。
だからこそ、人手にわたると、ただの飾りものではない、値
打ちをもつ。
囚人たちは、晴れて出所が決まると、これをこっそりと荷物
のなかにしのばせておく。
それは、遊廓で、ひと晩過ごせるだけの値をもったのである。
「囚人さんって、おっかなくないんですか?」
イセが聴くと、先輩娼妓は首を振ってこたえた。
「普通のひとと変わんないよ。それよりも、世間さまから隔
離されて生きてるとこなんざ、あたしたちと似たような気が
して、他人に思えないんだよね…」
先輩娼妓は、豆草履を大事そうにさすりながら、しみじみと
つぶやいた。
「これを見るたびに、思うのさ。あの塀の向こうで、何十年
も耐えたひとがいたんだ。あたしも、どんなに苦しくても、
がんばろうって…」
それを聴きながら、イセのなかで、これまでいだいていた、
監獄や囚人にたいするイメージが、変わっていくのを感じ
ていた。
「中川さん…?」
電話の向こうの声に、イセははっと我に返った。
「どうでしょう? 引き受けていただけますでしょうか?」
「…あ、はい、わたすでよければ、よろこんでお話しさせて
いただきます」
「ああ、よかった。それでは、日程は…」
電話の向こうの声が、ぱっと明るくなった。
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「能取岬 流氷」
写真提供/北海道無料写真素材集 DO PHOTOさん