2016年05月31日

物語版「零(zero)に立つ」第2章 差別と貧しさのなかで(3)/通巻7話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演88日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、かめおかの視点で、イセさんの
物語をつむいでいます。物語ですので、すべてが事実ではなく、想像やフィクション
がまじる部分もあります。けれども、イセさんの生きかたの根本ははずさないで書い
ていくつもりです。ご感想をいただければ励みになります。よろしくお願いします。


第1章     第2章   


佐藤家と道一本はさんだところに、荒谷一番の大地主、渡辺家
の屋敷が建っていた。イセは、その家の一人娘、みよしと友だ
ちになったのである。

小学校にあがるころになると、イセは、からかいにくる男の子
を投げ飛ばすだけでなく、何人かでかかってくると、帯の先に
石ころをつめて応戦するなど、ますます、負けず嫌いの性格を
発揮していた。

そんな状態だから、女の子たちさえ寄りつかない。いや、おと
なたちが、「あんな乱暴な子のそばに寄ったら、けがするから、
遊んじゃだめだ」と、「禁止令」さえ出していたらしいのだ。

そんななかで、みよしだけが、イセの友だちになってくれたの
だ。みよしは、イセよりも一歳年下だが、お嬢さん育ちでおっ
とりと落ち着いていて、年の差を感じさせなかった。

イセもすぐに、みよしにこころをひらいた。

「イセちゃん、今日、うちに遊びにおいでよ」
「えっ? いいの?」
「うん。母さんも、イセちゃんに会いたいって」

荒谷にきてから、およそ、誰かの家にまねかれたことなんて、
一度もない。イセは、一瞬、ぼろぼろで、つぎはぎだらけの
自分の着物を見た。

(きっと、みよしの母ちゃんなら、気にしない…)

うなずくと、みよしのあとをついて、渡辺家の門をくぐった。

「あらあら、よくきてくれたねえ」

おっとりしたお嬢さんのみよしの、母もやっぱり、おっとり
美人だった。

見とれながらも、イセは、いつも泥だらけで畑仕事をしてい
る、里親のコウを思った。同じ人間なのに、こんなにも差が
あるものだろうか…。

そんなイセの胸中を知ってか知らずか、みよしの母は、にこ
にこと愛想のいい笑みを浮かべ、イセに、あんころもちをす
すめた。

「おやつ。みよしと一緒に食べてちょうだい」

イセののどの奥が、ごくりと鳴った。佐藤家では、めったに
目にすることのないあんころもちが、目の前にある。ところ
が、みよしがにべもなく言った。

「私、あんまり好きじゃない。イセちゃん、私のぶんも、食
 べていいよ」
「ほ、ほんとか?」

一瞬、イセの目が光ったかもしれない。遠慮のそぶりも見せ
ず、イセは、目の前の盆に盛られたもちを、手でつかむと、
口のなかに放り込んだ。

「う…」

甘いあんこが、舌先でとろけ、のどを通っていく。イセは、
目を白黒させながら、ごくりとそれを飲み込んだ。からだじ
ゅうが、あんこの甘さに包まれる気がした。

本当は、遠慮して、みよしのぶんを少しは残そうと思って
いたのに、手のほうが止まらなくなった。たちまち、イセ
は、盆に盛られたもちを、ぺろりとたいらげてしまった。

びっくりしたのは、みよしである。

「イセちゃん、すごーい。もう、全部、おなかのなかに
入っちゃったの?」

目を丸くして、まじまじとイセを見ている。急に照れくさ
くなったイセが、もじもじしていると、みよしが言った。

「なんか、イセちゃんを見てたら、私も食べたくなって
きちゃった。母さん、あんころもち、もうないの?」

びっくりしたのは、今度はみよしの母である。何しろ、
みよしはからだが弱く、食も細くて細くて、いつも食べ
させるのに一苦労していたからである。

「ありますよ。ちょっと待っててね」

気が変わらないようにと、あわてて、台所へと走るみ
よしの母。すぐに、山のようなもちを、盆に乗せても
どってきた。

「さあ、食べて食べて。イセちゃんもどうぞ」

みよしの母は、気づいていた。イセがなぜそんなにも
おなかをすかせているのか。けれども、それは口には
出さず、ただ黙って、二人を見つめているのだった。


能取.jpg
※北国の澄んだ青い空。当時、このころのイセさんは、
こんな空のもとで暮らすことなど、思いも寄らなかったろう…。
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2016年05月30日

物語版「零(zero)に立つ」第2章 差別と貧しさのなかで(2)/通巻6話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演89日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、かめおかの視点で、イセさんの
物語をつむいでいます。物語ですので、すべてが事実ではなく、想像やフィクション
がまじる部分もあります。けれども、イセさんの生きかたの根本ははずさないで書い
ていくつもりです。ご感想をいただければ励みになります。よろしくお願いします。


第1章     第2章  


イセは、並みの女の子とは比較できないほど、たくましく、また力も強か
った。何しろ、男の子たちと取っ組み合いのけんかをしても、余裕で勝っ
てしまうのだから。

成長するにつれ、その強さはますます顕著なものになった。そして、その
体力を補強するかのように、イセは小柄なからだで、よく食べた。

小学校にあがるかあがらないかのうちから、ごはんはおかわりが当たり前。
それでも足りずに、3杯めもほしがる。いくら、里親のコウが、自分の食
事をへらしたとしても、焼け石に水である。

幼いイセに、「居候3杯目はそっと出し…」なんて配慮はなかったろう。
いや、仮にあったとしても、育ちざかりのからだで、空腹をがまんするこ
となど、できなかったにちがいない。

そして、これに癇癪を起こしたのが、コウの長女・ツタである。イセが、
佐藤家にやってきたころには、すでに、娘ざかりにはなっていたが、1
人ぶんの食い扶持がふえれば、さまざまな面で影響を受ける。

もともと、日々の食にさえ事欠くほど、貧しい佐藤家である。おしゃれ
のひとつもしたい年頃になっても、ほかの家の娘たちのようには、櫛ひ
とつ自由に買うことができない。

それがイセのせいではないとわかっていても、遠慮もなしに、おかわり
を要求してくるイセに、がまんのならぬ想いが湧き上がるのだ。

炊事番をまかされていたツタは、イセがおかわりのお碗をさしだすと、
わざと、しゃもじで、ぴしゃっとイセの手を打った。

「育て賃も出さねえやつが、しゃあしゃあとおかわりなんかすんな!」

すると、イセは、しゅんとなるどころか、ほおをふくらませ、顔を赤
くして、ツタをにらみ返す。その態度に、ツタはますます腹を立てて、
あらあらしく、おひつのふたをバシンと閉めた。

「終わりったら終わり! いくら待ったって、おかわりはないよ!」

こんな攻防戦が、しょっちゅう繰り広げられた。そのようすを、コウ
ははらはらして見ていたが、ツタに気兼ねして、おもてだってはイセ
をかばうこともできない。

時折、運良く手に入れた芋の切れっ端などを、こっそりイセに食べさ
せるのが関の山であった。

しかし、この攻防戦、実は、ひょんなことから決着がつくのである。


朝焼けアップ用1.jpg
※網走市潮見から見た朝の空。イセさんもこんな空を見て暮らしていたろうか。


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2016年05月29日

能取岬のもつきびしさとゆたかさ

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演90日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただいています。


第1章     第2章  


私の実家は、網走にありますが、もともとは父が転勤族だったため、
オホーツク地域のいくつかの町を転々と移り住んでいました。定年
退職を機に網走に家を建て、網走の住人となったのです。

その当時、私はすでに家を出ていましたから、私自身は、実際に、
網走に住んだことはありません。

ただ、親しい親戚が、網走に住んでおり(網走に家を建てたのも、
親戚の近くのほうがいいだろうからというのが理由のひとつ)、その
親戚の家には、子どものころからよく遊びに行っていました。

そんな関係で、能取岬には、何度も行っていたのです。岬の突端に
立つと、吹きつける風の寒さと強さに圧倒されるけれども、それ以上
に、その真っ青な海の景色に、こころをわしづかみにされたのです。

さらに、その青のパノラマが、冬になると押し寄せる流氷に埋めつ
くされて、真っ白に変わるようすもまた好きでした。

北の海は、どこまでもきびしく、ときにいのちをうばうこともあるけれ
ども、その白い氷の大地の下には、春を待つ無数のいのちがうごめ
いていました。それを思うだけで、こころがときめきました。

そんなふうに、能取岬は、私にとって、帰郷するたびに一度は行き
たくなる、大好きな光景のひとつだったのです。

その能取岬を、イセさんもまた好きだったということを知ったとき、
一気に距離がちぢまる想いがしたものです。ああ、あのきびしさと
ゆたかさのなかに立つ感覚を、イセさんは知っているひとなのだと。

昨年、父が高齢による視力のおとろえを理由に、とうとう運転免許
証を返納してしまいました。今度帰省したら、誰か、私を能取岬に
連れて行ってくれないかなあと、思っている今日この頃なのです。(笑)


★これまでの関連記事
同じ時代に、同じ空気を呼吸して…
網走刑務所にまつわる記憶とイセさん
物語版「零(zero)に立つ」の連載をはじめて

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2016年05月28日

物語版「零(zero)に立つ」の連載をはじめて

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演91日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

土日祝日は、連載はお休みさせていただきます。


第1章         第2章   


この連載をはじめて、おかげさまで、ぐんぐんアクセスが伸びていま
す。ありがとうございます。

これは、私が書いているからではなく、やはり、誰もが、イセさんの
ことを知りたいという気持ちでいてくださるあらわれなのだと、思っ
ています。

実際、夢実子さんも私も、そして、スタッフとしてかかわってくださ
るかたがたであったり、舞台をご覧いただいているみなさんも、
本当に、掛け値なしに、イセさんの魅力のとりこになるのですね。

網走市議会議員7期をつとめ、のちに網走市名誉市民にはなった
けれども、全国的に見て、ものすごく著名なかた、というわけでは
ありません。

でも、その生涯と、生きかたを知るにつけ、もっと多くのひとに、イ
セさんの存在を知ってもらいたいという気持ちがつのります。

なぜその想いにいたるかは、ひとそれぞれではあるでしょうが、何
よりも、どんな困難にも、身一つでぶつかっていった、イセさんの、
いさぎよさと勇気にひかれるから、ではないかと、私は思うのです。

議員時代、政党には所属していましたが、イセさんの気持ちは、基
本的には、ひとりの人間として、何をなすか、ということにあった
のではないかと思うのです。

それは、議員をやめたあとも、助けをもとめてくるひとがあとを立た
ず、「ほっといたら、人助けのために、お金をどんどん使ってしまう」
といわれるような対応のしかたにもあらわれています。

今回の連載の主要資料として参考にさせていただいている、山谷
一郎さんの『岬を駈ける女』は、議員になるまでの半生を克明に
描いています。

その『岬を…』もふくめて、イセさんを描いた著作はすべて、イセ
さんがまだご存命中の出版でしたから、イセさんの後年について、
きちんと活字になったものはほとんどないのです。

今回の連載では、その後年の部分を、少しでも補完できたらいい
なと考えています。

とはいえ、波瀾万丈の人生を生きたイセさんのこと、エピソードは
数知れず。一体、完結するまでにいつまでつづくやら。(笑)

どうぞ、気長に応援していただけたらと、こころから思います。


★これまでの関連記事
同じ時代に、同じ空気を呼吸して…
網走刑務所にまつわる記憶とイセさん

イセさん天で.jpg
※イセさん、どうぞ天から応援してくださいね♪
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2016年05月27日

物語版「零(zero)に立つ」第2章 差別と貧しさのなかで(1)/通巻5話

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演92日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、かめおかの視点で、イセさんの
物語をつむいでいます。物語ですので、すべてが事実ではなく、想像やフィクション
がまじる部分もあります。けれども、イセさんの生きかたの根本ははずさないで書い
ていくつもりです。ご感想をいただければ励みになります。よろしくお願いします。


第1章         


佐藤家の暮らしは、お世辞にも楽なものとは言えなかった。英七・コウ
夫婦には、すでに食べ盛りの2人の娘がいたし、義父の幸七と、英七の
がもたらす稼ぎは、細々としたものだった。

一家6人が暮らしていくだけで精一杯のところに、イセが加わることに
なったわけだ。コウは、自分の着物をほどいて、イセの着物に変えた。
自分の食べるぶんをへらして、イセにあたえた。

「おまえの責任で育てろ」と言い放った幸七は、それ以来、イセのこと
については、口をはさもうとしない。夫の英七は、それなりに、イセの
こともかわいがってくれる。

一時はどうなるかと肝を冷やしはしたものの、イセの運の強さのゆえ
か、実母のサダが、あの世から守ってくれているのか、イセは佐藤家
の一員として、コウの厚い庇護のもと、すくすくと育っていった。

けれども、こころないことばを投げかけてくるものは、いつの世にもい
るものだ。イセが成長するにつれ、近所の子どもたちが、イセが里子で
あること、身なりのあまりに貧しいことを、ことあるごとにからかった。

「里子のくせに」
「もらわれっ子のくせに、えらそうな顔すんな」
「乞食みてえな服、着てよぉ」

また、実父の安蔵が、賭場をひらくなど、博打に手を出していることも、
おとなたちのうわさから、聞きおよんでいた子どもたちが、さらに残酷
なことばを投げつけてくることもあった。

「やーい、ヤクザもんの子!」
「おまえの親父、バクチ打ちなんだってな!」

これにたいして、イセは、めそめそと泣き寝入りするような子どもでは
なかった。なんと、自分よりおおきな男の子たちにたいしても、からだ
ごと、ぶつかっていったのだ。

小柄なイセが、つかみかかってくるのを、男の子たちは、最初、こばか
にした顔で見ていた。ところが、イセは、思いのほかちからが強かった。
いきなり、体当たりして、男の子をひっくり返してしまったのだ。

「な、何すんだ!」

イセもいきおいで一瞬よろけたが、立ち上がりさま、土くれをつかんで、
反撃しようとした男の子の顔に向かって、投げつけた。

「わっ! 痛い、痛いよう!」

男の子が、ひたいをおさえてしゃがみこんだ。土くれのなかに、小石
がまじっていたようだ。なおもぶつかっていこうとするイセを、他の
男の子たちが、よってたかって突き飛ばした。

しかし、イセの目のなかに燃える強い光におそれをなしたのか、それ
以上はかかってこず、なおもさわいでいる男の子を引っ張って、そそ
くさと退却していった。

「ヤクザもんの子だけあって、おっかねえな!」
「おなごのくせして、男ば突き飛ばすなんてよ」

そんな捨てぜりふを残しながら。

まだ4、5歳でしかないイセのなかに、あきらめてはいけない。運命
にたいして、徹底的にたたかってやる、という気持ちが芽生えたのは、
このころからであったかもしれない…。


能取岬3.jpg
※能取岬の先に広がるオホーツク海。冬になると、この海は流氷に埋めつくされる。
posted by 夢実子「語り劇」プロジェクト at 13:12| Comment(0) | 物語版「零(zero)に立つ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月26日

「零(zero)に立つ」(物語版)第1章 いせよ誕生(4)

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演93日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、イセさんの物語をつむいで
いきたいと思います。物語であるので、すべて事実というよりも、多少の想像や
フィクションがふくまれることはご了承ください。お読みいただき、忌憚のないご
意見やご感想をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。


      


「育て賃は出さねえ? なして、そったら子を引き取ってきた!
 いますぐ返してしまえ!」

コウの、消え入りそうな声をかき消すように、義父・幸七がこ
たえた。予想どおりのこたえに、コウはますます身をちぢめ、
うつむいた。

義母は、ちらとイセを見たきり、あとは目をそらし、黙々とつ
くろいものをしている。夫の英七が、わずかに気の毒そうなま
なざしを送ってくるが、家長である父には何も言えない。

幸七は、ぷいと背を向けて、仕事である石工の作業を再開した。
こうなると、もうとりつくしまもない。気まずい沈黙が流れた。

(だめだ。この子には運がなかったんだ…)

いたたまれず、コウが、イセの手を引いて、再び安蔵の家にも
どろう、と思ったときだ。

たたたたた。

それまで、じっとコウに手をにぎられていたイセが、突然その
手を振り切って、幸七に向かって、走り出したのだ。

あっと思うまもなかった。どんっと、イセが、幸七にぶつかる。
不意をつかれて、幸七が一瞬よろめく。みなが、はっと息を飲
んだ。

「何すんだ、この…」

振り向きざまに、幸七とイセの目が合った。幸七は、振り上げ
かけた手を思わず止めた。

わずか2歳に満たぬイセの目が、おそれげもなく、まっすぐに
幸七を見つめていた。あどけなさというより、何か強い意思の
光が、そこにはあった。

幸七は、ゆっくりと手をおろした。そして、再び仕事の姿勢に
もどりながら、ぼそっと言った。

「一体、この子はどんな子に育つんだか…。コウ、お前が連れ
てきたんだから、おまえが責任もって育てろ」

それっきり、何も言わず、仕事をつづけるのだった。何を言わ
れたのか、すぐには飲み込めず、コウはぽかんと、夫の顔を見
た。英七が、ちいさくうなずき返してきた。

ゆるしてもらえた…? コウのなかに、ようやく実感がわいて
きた。と同時に、涙がとめどなくあふれた。

コウは、ぎゅっとイセを抱きしめた。病身のか細い母とちがい、
コウの胸も腕もおおきく、あたたかく、すっぽりとイセを包み
こんだ。イセも、そんなコウを抱きしめ返してきた。

こうして、荒谷の佐藤家での、イセの暮らしははじまった。


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※どこまでも広がる能取の草原。ここで、イセさん一家は牧場をいとなんでいた。
posted by 夢実子「語り劇」プロジェクト at 08:24| Comment(0) | 物語版「零(zero)に立つ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

「零(zero)に立つ」(物語版)第1章 いせよ誕生(3)

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演94日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、イセさんの物語をつむいで
いきたいと思います。物語であるので、すべて事実というよりも、多少の想像や
フィクションがふくまれることはご了承ください。お読みいただき、忌憚のないご
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その1  その2  


イセの実母・サダの訃報は、里親の約束をかわした佐藤コウの
もとにも届いた。

「こんなにも早くとは…」

コウの胸は騒いだ。2歳にもならぬ一人娘をおいて逝かねばな
らない、サダの胸のうちを思うと、なんとしても、イセを幸せにし
てやらねばと、想いをあらたにするのだった。

ところが…。

「連れてくなら、勝手に連れてけ。
 だけど、育て賃は、びた一文出さねえよ」

イセの父・今野安蔵は、コウに、そう言い放ったのである。

「そんな…。話がちがいます」

「ちがうも何も、俺はそんな話、知らねえ。サダが勝手に
 決めたことだ。それを、なんで俺が金を払わにゃならん」

サダが、安蔵に告げていないはずがない。男手ひとつでは
まともに育てられないことも、安蔵にはわかっていたはずだ。

計算高い安蔵が、育て賃を値切ってやろうと、小芝居を打っ
たのだろうか。あるいは、自分を信用していなかったサダへ
の逆恨みで、しっぺ返しのつもりだったのか。

いずれにしても、目の前で困りきっているコウにたいして、
思いやりを示すことなど、考えもしない男ではあった。

ただでさえ貧しい佐藤家だ。育て賃をもらえるからこそ、イ
セをあずかることを、家族にも承知してもらえたのだ。それ
がもらえないとなれば、突き返されるに決まっている。

コウは悩んだが、あどけないまなざしでコウを見つめるイセ
を、安蔵のもとに残しておく気持ちにはなれなかった。コウ
は、イセの手をとった。

「おいで。おばちゃんと一緒に行こう」

「どこに? お母ちゃんも一緒?」

無邪気に、イセがたずねる。
2歳に満たぬイセに、母の死が理解できるはずはない。

「いいとこ。お母ちゃんは、ちょっと遠いところに行ってる
から、おばちゃんと一緒に、帰ってくるのを待とうね」

「うん!」

コウは、イセの手を引いて、今野家をあとにした。安蔵は、
背を向けたまま、イセに声ひとつかけようとしない。

勢いで連れてきてしまったものの、佐藤家が近づくにつれ
て、コウの足どりは重くなった。

なんてばかなことをしてしまったんだろう。夫の英七はと
もかく、義父や義母がゆるしてくれるはずがない。私はこ
の子を、またあの家に返しにいかなければならないのだろ
うか…。

知らず、イセの手をぎゅっとにぎってしまっていた。
イセが、不思議そうに、コウの顔を見上げた。


1107岬.jpg
※能取岬。空が広い。イセさんは、この広々とした景色が好きだった。
posted by 夢実子「語り劇」プロジェクト at 09:56| Comment(0) | 物語版「零(zero)に立つ」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

「零(zero)に立つ」(物語版)第1章 いせよ誕生(2)

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
チケット発売開始は、6月20日!
本日、公演95日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、イセさんの物語をつむいで
いきたいと思います。物語であるので、すべて事実というよりも、多少の想像や
フィクションがふくまれることはご了承ください。お読みいただき、忌憚のないご
意見やご感想をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。


その1 


娘の誕生でご機嫌の安蔵ではあったが、一方、イセの母、サダは、
胸中に言い知れぬ不安をいだいていた。もともとからだは強いほう
ではない。それが、お産のあと、どうにも体調のすぐれない日が
つづいていたのだ。

現代とちがって、過去には「産後の肥立ちが悪く、亡くなるひとも
珍しくはなかった。サダも、自分は長くは生きられないだろうとい
うことを、うすうす感じるようになっていた。

そうなると、心配なのは、イセの行く末である。自分が死んだら、
この子は一体どうなるのだろう。安蔵が立派な父親になってくれる
とは、とうてい思えない…。

そう思うと、サダは、いてもたってもいられず、里親をさがすこと
を考え、病の身を押して、たずねてまわった。

そんななかで、出会ったのが、同じく東村山郡干布村(現 天童市)
荒谷の、佐藤コウである。コウは、貧しい職人の家の嫁であったが、
はたらきもので、気立てのいい女だった。

コウもまた、サダの話を聴いて、同じ女としてのせつない胸のうち
に共感した。これは、どうしても自分が親代わりになって育ててや
りたいと、こころに誓った。

それに、夫の栄七と、二人の子ども、英七の両親をかかえるコウの
家の暮らしは、苦しかった。イセをあずかることで、育て賃が入る
なら、コウの家にとってもありがたいことなのだ。

「わかったよ、サダさん。万が一のときには、私がイセちゃんを、
しっかり育ててあげる。でもね、気をしっかりもって、どうぞ、
長生きしてちょうだい。それがイセちゃんにとって、一番の幸
せなんだから」

コウのはげましに、サダは胸の内があたたかくなるのを感じたが、
自分の身のことは自分が一番よく知っている、とも感じていた。

実際、コウと、里親の約束をかわしたあと、サダは、ろうそくの
火が消えるように弱っていき、ついに、帰らぬ人になってしまっ
たのである。

イセは、そのときまだ、2歳にもなっていなかった。


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※能取岬に立つ灯台。初点灯が大正8年とあるので、イセさん一家
 が能取岬で暮らしはじめたころにはすでに建っていたようだ。
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2016年05月23日

「零(zero)に立つ」(物語版)第1章 いせよ誕生

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
本日、公演96日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

山谷一郎著『岬に駈ける女』を主要資料としながら、今日から、
私なりに、イセさんの物語をつむいでいきたいと思います。

物語であるので、すべて事実というよりも、多少の想像やフィ
クションがふくまれることはご了承ください。

お読みいただき、忌憚のないご意見やご感想をいただければ
幸いです。よろしくお願いいたします。


第1章 いせよ誕生

「山形はさ、冬は寒さがきびしいんだ。
 昔の話だけど、道ですれちがったら、
『どさ』
『ゆさ』って。それしか言わないの。

 意味、わかる?
『どこさ行く?』
『湯(銭湯)さ』ってこと。
 寒いから、なるべく口ひらかないようにしたって。
 いや、本当の話かどうかわかんないけど、
 そんくらい寒かったってこと」

山形のひとから聴いた話である。

どのくらい昔のことか知らないが、温暖化のいまに比べれば、
かつては、どこも、ずっと寒かったことだろう。

まして、今野いせよ(のちの中川イセ)の生まれた村山地方は、
置賜地方などと比べれば、山に囲まれ、日照時間も少なく、い
っそう寒さを感じさせたかもしれない。

1901年(明治34年)8月26日。イセは、東村山郡干布村
(現 天童市)上荻野戸に生まれる。父は今野安蔵。母は、サダ
(またはサタ)。けれども、この結婚は、あまり幸福なものであっ
たとはいえない。

今野安蔵は、おもて向きは桑の中買いをなりわいとしていたが、
一方では、見せ物小屋を打つなどの興行の仕事、さらには賭場
をひらくなどの、裏の仕事にも精通する、やり手の男だった。

当然、女関係も派手で、ひとりめの妻は、その女関係に愛想を
つかして家を出てしまったほどだ。

そんな安蔵が目に止めたのが、地主の娘・サダだった。安蔵に
とって、サダは、すむ世界のちがう、いわば高嶺の花だった。
それだけに、手に入れたいという想いをつのらせたのだろう。

サダの家に日参したり、待ち伏せて、当時は珍しかった自転
車にサダを乗せて家に送り届けたり、子分たちを使って、2
人は親から結婚をみとめられたなどのうわさを流したり…。

そんな安蔵の強引さに、世間知らずのサダがとりこまれたの
は、無理からぬ話かもしれない。結婚話は決まったものの、
サダは、「ヤクザモノのところにとついだ」という理由で、
家から縁を切られてしまう。

そして、世間によくある話だが、それだけ想い入れて結婚し
たサダにも飽きて、安蔵は数年後には、もう別の女に入れ込
んでいた。

そんなさなかに、イセは産まれることになったのである。

もっとも、サダが子どもを身ごもったことで、安蔵は、素直
によろこんだようだ。安産祈願に、お伊勢参りに出かけてい
るくらいである。

そんなところが、この男、安蔵の憎めないところではある。

そして、「お伊勢参りで産まれた子だから、名前はおいせだ」
と決めて、戸籍係に届けにいくのだが、ここでひともんちゃく
あった。

戸籍係が、「自分の娘の名前に敬称(「お」)をつけるのは
おかしい」と、安蔵にたいして注文をつけたのだ。

「なんだと。お伊勢参りで、おいせ。なんの問題がある」
「ですからね、敬称をつけるのは…」
「うるせえ。オレがいいと言ってるんだから、いいんだ」

もとよりひとの話になど耳を貸す男ではない。頑として、
戸籍係の言うことを受け付けようとしない。

「なんと言おうが、名前は、おいせよっ!」

戸籍係も、だんだん面倒になってきたのかもしれない。
安蔵が、字が読めないのをいいことに、戸籍簿に、
「いせよ」と書きつけてしまった。「おいせよっ!」が、
「いせよ」に変化してしまったわけだ。

そうとは知らない安蔵は、意気揚々と家にもどってきた。
「名前は、おいせだぞ!」

そんなわけで、当のイセが、自分の本当の名前が、「お
いせ」でも「いせ」でもなく、「いせよ」であると知る
のは、成長したずっとのちのことである。


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※能取岬の灯台。この岬で、イセさん一家は暮らしていた。
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2016年05月22日

網走刑務所にまつわる記憶とイセさん

天童で産まれ網走で活躍した、中川イセさんの半生を描いた
語り劇『零(zero)に立つ〜
激動の一世紀を生きた中川イセの物語〜」


日時/2016年8月27日(土)18:00開演
会場/シベールアリーナ(客席数522)
観劇料/3000円(当日3500円)
本日、公演97日前!


脚本担当・かめおかゆみこです。

網走在住でなくても、あの地域に住んでいると、東京などに行った際、
必ず話題にのぼるのが、「網走監獄」(網走刑務所)です。

高倉健さんの映画で一躍有名になり、そのあおりで、あの地域一帯が
ちょっとダークな雰囲気であるかのように思われた時期もあります。

子どものころ、ある冬のさなかに、その網走刑務所から、ひとりの囚
人のかたが脱走したというニュースが流れました。

網走刑務所は、町外れにあるのですが、市街地とのあいだに網走川
が流れ、そのために脱獄がむずかしいと言われていたのですが…。

ところが、不思議なことに、町に逃げたはずのその囚人のかたの足
どりが、いっこうにつかめないのです。人間ですから、逃げていれ
ば、必ず何かの痕跡があるはずなのに…。

そのかたが見つかったのは、冬が過ぎ、春になってからでした。遅
い北国の冬が明けたとき、網走川に張った氷も溶け、そのかたは、
その川底から見つかったのでした。

そう。おそらくは、川の氷の薄いところを踏んでしまい、そのまま、
川のなかに落ちたのです。一体、川の温度は何度くらいだったので
しょうか。

網走刑務所での脱獄は、そのひとが最後だと言われているそうです。
(これは、子どものころの私の記憶なので、もしかしたら、まちが
っているかもしれませんが…)


イセさんは、後年、博物館「網走監獄」保存財団の理事長をされた
とき、その網走刑務所の囚人のかたがたのために、何度も、講話に
行かれたそうです。

そして、ご自身の苦難に満ちた半生を語ると、囚人のかたがたは、
みな、涙して聴かれたそうです。

あるとき、父親が網走刑務所に入っていて、その子どもが、学校
でいじめられるという話があったそうです。イセさんがその子を、
「何もはずかしいことはない。しっかり前を向いて生きろ」と、
はげましたそうなのです。

その話を、刑務所でしたところ、その父親が、「これは自分のこ
とだ」と、ぴんときて、出所したあと、イセさんをたずねてきて、
深々と頭を下げたとか。

脱獄した囚人のかたも、もしかしたら、イセさんの講話を聴く
機会に恵まれていたら、ひょっとしてまじめにつとめあげよう
としたのではないかなあ。

そしたら、いのちを落とさずにすんだかもしれないのに…。
ふとそんなことを思ってしまいました。


「零(zero)に立つ」のなかでは、市議会議員になるところまで
を中心に描いているので、こうしたエピソードはなかなか伝え
られないのですが、いつか、「掌編・中川イセの物語」のほうで、
とりあげられたら…と思っています。

イセさんと直接お会いする機会はなかったけれど、この網走刑務
所の話題にふれるたび、いつも思い出すエピソードなのです。


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※能取岬からながめるオホーツク海。イセさんの好きだった景色。
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